一日目:紙飛行機

 

 昨今、大半の大学生は無目的だと言われている。僕も多分、その例に漏れず、無気力な若者

なのだと思う。もっとも、僕の場合は、三年前にとある事件によって既に人生の目的たるべき何事

かに決定的に失敗してしまった為、目的の見つけ方すら知らないのだけれど。

 三年前、僕に多大な影響を与えていた友人を亡くして以来僕の中に巣食ったこの無気力は、

最近益々顕著になってきてる気がする。

とはいえ、自分からその状況を変えようなどと少しでも思っていれば、こんな状況には陥らない

わけで。結局、僕は心に欠落を抱えたまま今日も無為に過ごすのだろう。

 ……思索の秋、無駄な思考に耽ってみるのも悪くはない。まして、昼休みでご飯を食べた後の

若干眠気を覚えた脳みそなら尚更だ。そんなことを考えながら、少し早めに午後の授業の教室に

入ると、既に彼は指定席にいた。左後ろ、隅の窓際。携帯の電波が一番入る場所。

そして、いつも通りのスーツ姿に、結構整った顔立ち、そして、地毛の茶髪。一見すれば、夜の

商売の人と間違えてしまうかもしれない。

 そんな特徴的な外見をしているせいで、未だに僕は彼の名前を覚えていない。なので、今日は彼のことを便宜上「高橋(仮)」としておこう。

僕はいつも通り、そんな高橋(仮)の隣に腰を下ろす。
高橋()は気付かない――ただ一心に、何かを繰り返している。

 

 手元を覗いてみると、彼は一心に紙飛行機を折っていた。

 もう既に3機が完成し、彼の左側に置かれている。

 

 と、そこで。

 手元にさした影で高橋(仮)が僕に気付く。

「やあ、来てたのか」

 彼は目線をこちらに向けずに一言だけ、そう呟く。

 手はその間も止まらず紙飛行機を折っている。

「おはよ」

 だから僕は邪魔にならないように高橋(仮)の右、紙飛行機の素材になっている紙を見てみた。

そこには「世界滅亡」、「邪神覚醒」等の文字が躍っている。

「ああ、それはちょっとそこからもらってきた。三年も前の話なのに、まだ騒いでる人がいるんだね」

高橋()はさも良識派といった風で嘆息し、僕も肩をすくめる。

 

 三年前のこと。

 僕達の住む国でちょっとした大事件が起きた――といっても。何が起きたかは、三年経った今になってもさっぱり公表される気配が無いのだけれど。

 分かっているのは。その事件によって一都市が丸々”なかったこと”にされ、永久に封鎖されて

しまったこと。

 巷では時折「原子炉がえらいことになった」だとか、「火山の噴火でえらいことになった」だとか

根拠も無い憶測が流れているようだが――その事件まで実際にその都市に”住んでいた”僕から

言わせてもらえば、あの街に原子炉なんか無かったし、噴火しそうな火山などあったわけがない。

 只一つ確かなことがあるとすれば。その惨劇が”廃都事件”と呼ばれていることのみ。

 

 つくづく、人間というのは現金に出来ている。自分に直に影響が及ばなければ、世界で何が

起こっていようと何も気にせず生きていく。

 つまるところ、人間にとっての世界とは「見えて、触れる」範囲内でしかなく、テレビの中でしかお目にかからないような地名など世界の外側の存在なのであり閑話休題。

 

 さて、このチラシは多分――今朝、オカルト研だか何だかが校舎前で配っていたものだろう。

 そういえば、そろそろあの事件から丸々三年が経つ。

 連中にしてみれば、解明されていない超常現象ということで格好の騒ぐ燃料なのだろう。

 おめでたいことだ。

 

 見渡すと、教室のあちこちにチラシは散乱している……少しだけ、哀れに思えた。

 多分、今は亡き僕の友人が見れば、嘆くことだろう。資源の無駄だと、時間の無駄だと。しかし、

今僕の目の前に居る高橋()は、その光景を見て静かに笑うだけ。

 

 つくづく、付き合う人間の質が変わったものだ、としみじみ思う。

 

「――馬鹿だよね。でもこういう馬鹿は好きだ」

 彼が紙飛行機を折りながら呟く。

「馬鹿?」

「ああ、馬鹿さ」

 4機目が完成し、彼の左側に置かれ、そして彼はまた右側から新しい紙を取る。

「こんな所で騒いでいる暇があったら、実際に現地に行ってみればいい。或いは、生き残った奴を

 探し出して話を聞いてみればいい。真に真実に到達したいのなら惜しむべからざる努力だ」

 まず半分に二つ折り

「だが、彼らはそれをしない――怖れているからさ。本当は其処に、彼らが期待するものが何も

なかった、という事実に直面する覚悟が出来ていない。だから、こうやって下らない活動でお茶を

濁す。安全圏から適当に叫んで何かをしたような気になるなんて、良くも悪くも傲慢で馬鹿だよ」

 その言葉を口にしている高橋(仮)自身もかなり傲慢な気がするのは気のせいじゃない。

 ――確かに。其処には安直な怪奇も、簡明な超常も存在しない。

 あるのは、下らない感情に衝き動かされた者達のぶつかり合いだけ。

 ただ、その規模がほんの少しだけ大きかった。それだけのこと。

 だが、そこに何かがあると夢見ることまで否定する気はない。壁にぶち当たって絶望するまでは、

誰しも無謀に生きる自由がある。

 だから、僕は静かに呟く。

「少なくとも、大学の一年坊が先輩方を評する台詞じゃないと思うよ」

 僕の呟きを、高橋(仮)はせせら笑う。

「君って、結構頭が固い娘なんだね。幾ら歳が離れてたって、馬鹿は馬鹿さ。まして、一つ二つしか

離れてないんだ。大した考慮要素にはならないね」

「……率直だね」

「君みたいに怠惰じゃないからね。君の場合、言うべきことも言わずに放置するタイプだ」

 少しだけ、ムカついた。高橋(仮)の言動が無神経なのはいつものことなのだけれど……今はもう

いないあいつからも、実は同じ事を言われたことがあるというのが実に情けない。

「手厳しいね。友達無くすよ?」

「相手が女だからって容赦する気はないよ。それに、君なら言いたいことを言っても大丈夫だと

 評価してるからね。誰にだってこうなわけじゃない」

 ……その言い方は、卑怯だと思った。その間も彼は手を止めず、先を尖らせ、一回内側に

折込み、更に折っていく。

「にしても、こうしてチラシは余り、俺に紙飛行機にされる。環境問題は深刻だってのに、ゴミを

 増やしてどうするんだか」

 高橋(仮)はそう言って苦笑する。苦笑しながらも、手は止めない。

 

僕はチラシを手に取り、欠伸混じりに目を通してみる。

 おどろおどろしいフォントで描かれた「魔王降臨、終わりの日は近い」だとか、禍々しい字体で

大書された「予言の刻」などという記述が目を引く。

 ……このチラシを作った連中は、もし”廃都事件” がただ一人の人間を救うためだけに引き起こ

された惨劇だった、と知ったらどう思うだろう。或いは、“廃都事件”の元凶が今此処でこのチラシを

見て笑っている、と知ったらどう思うだろう。

 そして。

 その思い上がった大馬鹿野郎が、よりにもよって街一つと引き換えに助けようとした人の外見を

した人外となった上、記憶の大半を失った残骸と成り下がってまで生きながらえていると知ったら。

 

失望するだろうか。

狂喜するだろうか。

或いは、それを信じることなく別の真実を追い求めるだろうか。

 

 おそらくは最後の選択肢が正しいだろう。人は、真実だから信じるわけではなく、信じたいから

信じるのだから。そう、かつての僕のように。

「やめなよ、そんなものを真面目に見ていたら君まで馬鹿に思われるよ」

 横からチラシを取り上げられ、思考中断。

「……そう?」

「そうさ、こんなもの真面目に見ていたら脳が腐る。程々に流し読んで笑いものにするくらいが丁度いい」

「そんなものかな」

「そうとも。一旦逸脱してしまえば二度と“普通”には戻れない。こんな下らないことにそのたった一回

を使うのは、馬鹿馬鹿しすぎる」

 高橋(仮)にしては珍しく、顔から笑みの消えた状態での台詞だった。

 なるほど、喪うまで本当の価値がわからないというのは痛いほどに分かる。

 おそらく、僕にとってのあいつもまた、そういう存在だったのだから。

 

 やがて。彼の手が止まる。

「さてと、これで完成っと。うん、中々上手く折れた」

 どうやら5機目は改心の出来栄えだったらしい。

 

 と、おもむろに彼は左の窓を開け――初秋の涼しい空気が教室に流れ込んだ

 そして彼は5機目を掴み――止める間もなく、窓の外の青空へと飛ばしてしまった。

 思わず、そのまま外を眺める彼に尋ねる

「――取って置かないの?」

「何言ってんのさ。飛べるんなら、飛びたいだろ。あれも」

 彼は飄々と目を細め、五号機の行方を見守る。

 見守りながら――ポツリと呟く。

「どこまで行くんだろうね」

 紙飛行機は抜けるような青空へまっすぐ飛んでいく――それを見ながら、彼は振り向くことなく

僕に問い掛ける。

「なあ、君は何処へ行きたいんだい?」

 答えは……考えるまでもない。三年前、あいつの死とともに僕の道は途切れてしまったのだから。

 永久に。

「……何処にも」

 

 この時点では、僕の周りは平和だった。まだ。

 

次へ