二日目:ぱそこん

 

 あちこちで「ITIT」と騒がれるようになって、そしてその騒ぎが収まってからもうだいぶ経つ。
パソコンが「特別なもの」という地位から引き摺り下ろされ、テレビや冷蔵庫と同じように、空気
のような存在になって久しい。ただ、冷蔵庫やテレビと違うのは――それを使って、能動的に
他人に何かしらの影響を与えられるということだろう。そして、それがどう使われるかは、未だ
に使い手のモラルに左右されるわけで。

 言うなれば「ナイフが悪いんじゃない、それで人を斬る犯罪者が悪い」ってところなんだろう。

道具に罪は無く、人間は余りにも罪深い。

 そして、道具がそうであるように、記憶もまたそれ自体に善悪いずれの価値も無い。それ自体

ではただの事実――記録でしかない。

 記録でしかない記憶を、想い出として慈しむか心的外傷として封印するかは、各々の心の問題

――意味づけの差異に過ぎない。

 だから、欠落だらけの記憶であってもそれ自体はただの欠陥記録であり、それ以上でもそれ

以下でもない。

つまりは、その欠落に違和感を感じずには居られない僕自身の心が未成熟であり――失って

しまったもの達を諦め切れていないだけだという、ただそれだけの話。

 世に未練と後悔の種は尽きまじ。

 

 

 大学のPC室で僕が課題をこなしていると、

「ちわ。ちょっと良いかな?」

 彼女は入ってきて、僕に話しかけてきた。目線だけで肯定の意思を示し、席からどく。

 

 少し赤っぽい色が混じっているポニーテールに眼鏡をかけている。服装は普通だが、何処と
なく、近寄りづらい雰囲気を発している女性だ。気迫というか、殺気と言うか……そんなもので
武装している感じか。

 彼女の名前を知っている者は居ない。

――もちろん、出席簿、学生証などを見れば、名前自体は分かる。

しかし、誰もそれを記憶に留めておくことができないのだ。

明らかな怪異なれど、誰もそれを不自然に思わない。

時折その不自然に気づいた――僕のような者には、彼女は笑ってこう言うのだ。

「呼びたいように呼べば? それが、君にとってのあたしの名前さ」

 かといって、気の利いた呼び方を思いつけるほど僕も世慣れてはいない。

 普段どう呼ばれているのか聞いてみたところ、どうも彼女は”魔女”と呼ばれているらしい。

 多くの人が使っている呼び名ならば僕が使っても問題はないだろう、ということで今では僕も

そう呼ぶことにしている。なんとも日本人らしい迎合主義だ。

 

 “魔女”とは語学や、幾つかの授業で一緒だ。しかも、実はアパートの隣人さんだったりもする。

必然、それなりに頼ったり頼られたりになるわけで。主に頼られる方が圧倒的に多いのが何とも

哀しいことだけれど。

 ま、頼られがちだということ自体は昔から慣れているから、そこまで落ち込むことでもない。

 

 さて。此処で、この場所で“魔女”が「ちょっと良い?」と言う時は、大体の場合「ちょっとパソコン

使わせろ」という風に翻訳できる。ちょうど、今のように。

 僕としては、「魔女」などという御伽噺じみていて前時代的な言葉で呼ばれる人間がパソコンを

使いこなしてる姿、というのが何とも皮肉げに見えるのだが、本人はどう思っているのだろう。

 案外、どうも思っていないのかもしれないが。せめて“電子の魔女”とかだったらば、違和感が

ないのだろうけれど、逐一使う呼び名としては少々長めなのが欠点か。

「ん、ありがと。5分で終わらせる」

 彼女はそう言って席に着くと、水を得た魚のようにキーボードを叩き始めた。

 ――ちなみに。先ほどの彼女の台詞を日本語に意訳すると「十分はかかる」という感じになる。

 

 幾つかのアドレスのメールチェックを済ませた後、“魔女”はあちこちのサイトを回っていく。

いつものこととはいえ、僕のIDでログインしているのだから自重してほしいとは思う。自宅なら

ともかくも、ここ大学だし。

 

 と、そんなことをだいぶ前に彼女に言ったことがあるのだけれど――

「別に気にする程のことじゃないよ。アクセスログなんて有料サイトにでも行かない限り普通に

流されるものだし」

 そういう問題じゃないのだけれど、まあ相手が聞かない以上しょうがない。

 

 ――思えば、“魔女”とも半年ほどの付き合いになる。そして、初めて会った時からやっぱり

ロクでもない奴だった。何せ、第一声が「死んだ魚のような目ね」だ。

 

 とはいえ……どんなに酷くても否定は出来ないのが、物凄く悲しい所だが。

 

 五年前、今は亡きあいつと出会った時「キレイな目」と評された僕の目は、あいつの死後の

あれこれで、今ではすっかり濁りきってしまったのだから。

 まあ、仕方のないことだと思うし、今更あの頃には――幸せだったあの頃には戻れないという

ことも分かってはいるけれど。

 それでも、面と向かって"変化の証"を示されれば、僕だってへこむのだ。それなりには。昔の

僕ならば、再起不能になっていたかもしれないが。

 その変化を成長と見るか、鈍化と見るかは人それぞれだし、僕はどうも思わない。

 変わるべくして変わるのだ。人も、世界も。

 

「しかし、最近だと珍しいね。普段なら家に帰ってから一気に片付けるのに」

レポート締切直前以外は、だが。この“魔女”、どうも計画性とは無縁な脳みそを所持している

らしい。そういうところだけは大学生らしい、と言うべきか。

「ああ、ちっとよろしくないものが最近息を吹き返したみたいでねー。あたしもこうして駆り出されて

激務してるわけさ。ほれ、君も巻き込まれた半年前のアレ」

 僕の前で好き勝手にパソコンを弄繰り回している“魔女”は、至極平然と不穏なことを呟いた。

どうやら、もう別の作業に移ったらしく画面には僕の見たこともない画面が映し出されている。

「……《ドッペルゲンガー》、だっけ?」

「いえす。あたしらは《異能狩り》って呼んでるし、朱の娘率いる連中は《精霊喰らい》って呼んでる

けどね」

 まあ、呼称なんてものはどうでもいい識別符号に過ぎないんだけど、と“魔女”は笑う。

 彼女が言うと妙に説得力があるのは何故だろう。

 

《ドッペルゲンガー》――別名《異能狩り》、もしくは《精霊喰らい》――を語る上で、精霊という

ナニカの話は避けて通れない。

“魔女”曰く、精霊とは世界のどこかに存在した技術や能力・記憶などが各々に結晶化して

意志を得たものであるらしい。

何でも、人に取り憑いてその有する技能を付与してくれるありがたいのか迷惑なのかよく

分からない存在だそうだ。さしずめ、特殊技能の亡霊とでも呼ぶべきか。

 

そのタイプは現在判明している中では大別して四つ

 

戦闘の技術や武器をもたらす、赤の精霊。

一定の法則によって「魔法」を与える、青の精霊。

強い意志力によって物理現象を捻じ曲げる、白の精霊。

生体に通常有り得ないような変異を与える、黒の精霊。

 

例えば、話に出た朱の娘こと片山朱莉(あかり)。彼女は赤の精霊の一種である『紅蓮の赤』、

個体名「灯火」という精霊によって、炎熱を纏う銃器とそれを扱う達人級の技量を得ている。

 或いは、目の前に居る正体不明の“魔女”。彼女は青の精霊により魔法を使えるらしいのだが

……そちらは実際に見たことは無いので真偽不明。

 

敢えて精霊使いという連中について総括するならば。

僕としては、耳元でわめき続ける実体のない何かと同居できる彼らの神経は全くもって理解

できないし、したくもないといったところか。

無論、そんな感想を抱く僕が精霊使いなどといういかがわしい人種であるはずも無い。

 

そしてドッペルゲンガーという怪物。半年前に跳梁跋扈し、今また街をお騒がせしているという

謎の傍迷惑存在に関しては、僕も“魔女”も知ることは少ない。

“魔女”曰く、そいつは他人の姿を盗み取るという。

半年前僕が対峙することとなった精霊使い曰く、そいつは他人の精霊を盗み取るという。

両者の話を総合してみると、他人の姿を盗み取った挙句人様が使っている精霊まで奪って

しまう輩らしい。他力本願にも程があるが、精霊使いでもない上に自前の外見を使っているわけ

じゃない僕にとっては、本来どうでもいい相手のはずだ。

 

 そう、本来すれ違ってもどうも思わない程度のどうでもいい相手。

 だが、今の僕にとってはそうではない。

 この《ドッペルゲンガー》という傍迷惑な奴は、よりにもよって僕に自身の罪を着せて諸々の

追撃から逃れようとした、という前科がある。

半年前、そのせいで僕は要らん揉め事に巻き込まれた挙句とんでもない目に遭ったわけだが

……。それともう一つ。

「……嬉しそうじゃん」

「そう?」

 知らず、笑っていたらしい。不覚。

 実の所、半年前のことはあまりにも色々とありすぎたせいか、今の身体の欠陥のせいか、

いずれにしても断片的にしか覚えていない。

 だが、一つだけ覚えていることがある。奴が僕に接触を取ってきた時の謳い文句だ。

「――知りたい?」

 何を、とは言わなかったし、半年前の僕も示されずとも分かっていた。

 ――だが。今の僕には、分からない。

 半年前の僕は一体何を知ろうとしていたのか。それを、多分僕は知らなければならない。

 

 そんな僕の感慨を知ってか知らずか“魔女”は笑う。

「三年前、街一個を滅ぼした君にとっては格下の相手かもしれないけどね」

「あいにく、そっち方面は廃業済み。今の僕は普通の真っ当な女子大生なんで」

――若干特殊な体質になってしまったものの。今の僕に其処まで無茶苦茶をやる力はない。

 

 ふぅん、と"魔女"は作業を続けながら鼻で笑う。

「まぁ、普通でいられるって言うのは幸せなことだね。あたしがそれを言うのも何だけど」

 喋りながらもその両手はキーボードの上を忙しそうに駆け回り、マウスに伸びては戻りを繰り

返している。何度見ても器用な奴だ。僕には到底至れない境地だろうし、至りたくもない

「奇遇だね。今日、その手のお説教を聞くのは二回目だよ」

「そう。じゃああたし、その人とはきっとあんまりよくない友達になれそうだね」

「悪友かよ」

「いや、傷を舐め合う仲」

 もっと良くない感じにダメダメで爛れていた。

「ま、発言者には機会があったら会ってみたいもんだね。あの朱の娘よりも面白いかもだし……

と、これでよし、と」

 唐突に彼女の手が止まる。画面を見ると、其処に映っているのは僕の課題のみ。

 いつの間にやら、全作業を終えていたらしい。

 

「ま、無いとは思うけど……半年前のアレに関してなんか気づいたことがあったりしたら、あたしの

部屋まで言いに来るように。起きてたら真面目に応対するから」

 彼女はそんな冗談か本気か分からないことをさらりと呟いた後。おもむろに席から立ち上がる。

「邪魔したね。それじゃ、課題頑張って」

 僕は頷き、彼女を見送った。

 

ちなみにその後。

“魔女”が酷使したせいか、キーボードやマウスの反応が鈍くなっていて僕は閉口することに

なった。電子機器は大切に。

魔女なら魔女らしくアナログな魔法に没頭していればいいものを、と内心で舌打ちしたのは

ここだけの話。

 

 

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