四日目A:病院・昼

 

 ――何かが出来ると思っていた。

 ――助けてあげられると信じていた。

 

 ――自分を過信していたのだと気づいたのは、全てが手遅れになった時。

 ――その日、当たり前のようにあいつは僕の前から姿を消した。

 

 多分、僕はまだあの鮮紅に染まったあいつの前で蹲ったままなのだ。

 そして、これからも其処から抜け出すことはないのだ。

 僕が僕である限り。其処に僕を映す鏡がある限り――

 鏡の中で、あの頃そのままのあいつが僕を覗き返している限り。

 

 ……思い出したくもない断片だけが手の内に残り、大切だったはずの何かは僕の指の間を

すり抜けて、何処かへと消えてしまった。

 

 

「おや、珍しい人が」

 見知った顔を見つけ、僕は足を止めた。

 いつも通りのスーツ姿に、結構整った顔立ち、そして、地毛の茶髪。一見すれば、夜の商売
の人と間違えてしまうかもしれない、そんな外見。

 彼はいつも通りの外見で、いつも通り紙飛行機を折っていた。

 しかし何て名前だっけ……ええと、今日は木村(仮)とでも呼んでおこう。僕の頭の中で。

「やあ、偶然だね」

 ――ただ、その「いつも通りの」光景は。

 いつもならば大して目に付かないのだろうけれど、今は物凄く悪目立ちしている。

「……まさかこんな所で遭うとは思わなかったよ」

 理由は簡単。

 其処が、病院の喫茶室だからである。

 

 あの「未知との遭遇」ならぬ「鞭(専ら精神的な意味で)との遭遇」の翌日。

 僕は何の因果か、貴重な休日を病院への訪問で無駄にする羽目に陥っていた。

 それもこれも、あの規格外が帰り道で事故に遭いやがった挙句、そのまま入院したりした

せいである。

 その前に道に迷っていたことと言い、奴は新しい属性でも発現しつつあるんじゃないか? など

と益体もないことを考えつつ病院に辿り着いた僕を、素敵すぎるサプライズが出迎えたわけで。

 

何がしたいんだ神様。きっと何も考えてないんだろうね。

 

 そのまま成り行きで彼の向かいに座ることになり、アメリカンコーヒーを勝手に注文される。

「此処のは美味いよ。熱いうちに飲めば尚更だ。此処に来てアレを飲まないのは罪だね」

 そんなことを身振りも交えて滔々と僕に語る木村(仮)の前には、既に空になったコーヒーカップ。ミルクや砂糖を使った形跡が無いあたり、ブラック派なのだろう。

 しかし、そう言われても、コーヒーは苦手なのだけれど。

「で、どうしたんだい? 見たところ調子が悪そうにも見えないし、此処の常連の時間と金を持て

余した老人達のように刺激を求めて来たわけでもなさそうだ」

 相変わらず、あの規格外とは違った方向の毒舌だ。

 アレの毒舌が指向性地雷なら、木村(仮)のそれはさしずめ無差別自爆テロとでも言うべきか。

 僕はやれやれ、と答える。

「見舞いだよ、見舞い」

「ああ、やはりか。だがそれはいけないな。見舞いに来たのに手ぶらだなんて、全く良くない」

 木村(仮)は肩をすくめて笑う。CMとかだったらここでキラーン、と白い歯が光り輝く所だろう。

特殊効果とかそんな感じの映像加工で。

「別に。義理で来ただけだし」

 あの規格外に義理であっても何かをあげるだなんて、考えただけで不愉快になれる話だ。

「まあそう言わず。そうだね……これを持っていくといい」

 ごそ、と木村(仮)は傍らの紙包みを持ち上げ、僕に差し出す。

「……え?」

「見舞いに土産の一つもないなんて邪道、俺は許せないからね。そういうのは様式美に反するよ」

 様式美、お約束。そういうことは確かに大事なのかもしれないけれど。というか。僕が貰って

しまって良い物なのかそれは。それに、僕は今からいわゆる超能力者とかそっちの類の、君が

あんまり好まないいかがわしい人間のお見舞いに行くんだけど。

「そんなもんかな」

「そういうものだ。そしてもう一つ」

 木村(仮)はにや、と笑う。

「こういう時の心遣いは黙って受け取っておくべきだ。照れるのは分かるが、何もなしじゃ相手の

方も寂しいだろうし」

 どうやら、本格的に妙な勘違いをされてしまったらしい。

 あの規格外少女とそういう仲にはなりたくないなあ、心の底から。何か一緒に居るとキャラが

崩れるし。それ以前に、女同士だからそういう仲になってたら……ちょっとねえ。

「……そこまで言うなら貰っておくよ」

 不承不承、木村(仮)の差し出した紙包みを受け取る。

「それで良い。素直に振舞うのが一番だ」

 木村(仮)は何がおかしいのか更にくす、と笑い。

「じゃあ、俺のような邪魔者は退場するとしよう。良いお見舞いを」

 ぐ、と僕に向けて親指を立て、席を立つ。さりげなく伝票を二人分持っていく一連の仕草が妙に

板についているのは、まあ外見相応に経験があるって事なんだろうか。

 ともあれ、相変わらず気障な男だと嘆息し、僕はコーヒーを一口だけ飲んだ。

 案の定、すっかり冷めてしまった安物のコーヒーは、大して美味しくなかった。

 

 

 病室に入ると、これまた予想外の光景が広がっていた。

 湿った水音が――殺風景な病室に響いている。

 僕の目の前、病室の真ん中には、ちょうど頭部が触れ合うような位置関係で、ベッドの上で
上半身を起こした少女と、少女に高さを合わせるように屈んだ学生服の少年とが……うーむ。

 まあ有体に言うならば。

 

 お楽しみですね、お二人様。

 

 と、目の前の光景に思わず取り落としてしまった紙包みの音で我に返ったか、重なっていた
二つの人影が、慌てて離れる。

 

「……お邪魔しました」

 

 慌てて扉を閉めてその場を辞し、病室の表札……なのか? を確認する。

403号 片山 朱莉」

 間違いない、この部屋だ。

 そっと扉を開け、入ってみる。

 中には、苦笑いを浮かべて立っている少年と、ベッドの上でむくれている規格外。

 どうやら僕は。

 とんでもないタイミングに特攻してしまったらしい。

「去れですの」

 目が据わっている。物凄く据わっている。完全に据わっている。相当頭に来てしまった様だ。

「いや、まあその……ごめ」

「去ねですの!」

 枕を投げつけられた。これは幾ら何でもあんまりだ。

「稲をそんな風に吐き捨てるように言うなんて……お百姓さんに謝れ」

「去ね去ね去ね去ね去ね去ね去ね去ね去ね去ね去ね、ですの!」

「い、一秒間に11回?」

「お前に本当の去ねを教えてやる、ですの!」

「教えられるのか?」

 年下なのに。まだ向こうは高校生なのに。

 むしろお前、何処のクラウザーさんだよ……

「そうか、そんなにお前は僕にこの世から去ってほしかったのか……」

 ある意味一回死んでるんだけどね。もう既に。そしてそれ故に今の僕は死ねないんだけど……

まあ、心の底からどうでもいい話。

「この場から、って意味ですの!世界から退場しちゃったらこの後いたぶれないですの!」

「……」

 この後、僕はいたぶられるらしい。

 年下にいたぶられる女子大生ってどうなんだろう

 何か、物凄くマニアックな気がしないでもない。

 祝、新境地開拓。

 何故だろう、あんまり嬉しくない。当たり前か。

 

 一通り毒づかれた後、ようやく朱莉は落ち着きを取り戻して呟く。

「またつまらぬものに構ってしまいましたの」

「うわ、酷い言われようだ」

 そりゃ、脳の螺子が良からぬ方向に妙な組み合わせで接合したようなお前の言動と比べれば、

僕なんてさぞかしつまらないことだろうけどね。

「一々細かいことにうるさいですの。撃ち殺して地下一階の霊安室に放置しますの」

「無条件で確定か……しかも妙に具体的だね」

 ああもう、進まないったらありゃしない。本当に突っ込みどころが多すぎるから困る。

 まあ、逐一それに突っ込んでしまう僕も律儀すぎるのだろうけど、それはあいつがいた頃から

変わらない欠点だから仕方ないわけで。

「ともあれ……まずは土産。置いておくよ?」

「まあ、貴女のような低俗な人だと選ぶ土産のセンスもたかが知れてますけれど。どうしてもこの

 私に差し出したいと仰るなら貰って差し上げないこともないですの」

「本当にお前はムカつく奴だな」

しかもさりげなくツンデレかよ。まあ。僕の選んだ物じゃないから何言われても知ったことじゃあ

ないけれど。

 嗚呼、全く。何でこんな役回りが僕に回ってくるのだろう。

 

************

 

「見舞い?」

「そ。ほら、君は頑丈だからね。あたしに比べて」

 昨夜、僕に事故を知らせに来た“魔女”はそう言って笑った。玄関で立ち話というのも何なので、

僕はサンダルを突っかけたまま段差の所に腰を下ろす。

「ほら、あたしはやっぱどう転んでも一般人じゃん。君とは違って。何か"ヨロシクナイ事"があった

時に対応できる程の力はないよ?」

重ね重ね訴えたい所だけれど、“魔女”が一般人を自称しないで頂きたい。

「それは僕だって同じだよ。そんなに頼られても困る」

 魔法が使える訳でも超能力が使える訳でも、ましてや変身して悪の怪人と戦うわけでもない。

御伽噺やファンタジーじゃないんだから。そういうわけの分からない漫画じみたことは精霊使いの

連中にお任せしておきたいところだ。

「いやいや、何てったって君はあかりんを撃退してるからね」

「あれは単に運と巡り合わせの問だ……」

 僕の反論を“魔女”は遮り、続ける。

「だから。仮にハッタリであっても、相手は勝手に騙されてくれるんだよ。何せ、君は"あの"

 あかりんを撃退したんだから」

 片山朱莉。

 ――焔の精霊を操る少女。

 この付近では、間違いなく数本の指に入る強力な"精霊使い"

「普通なら、アレが運や巡り合わせであっても撃退されるなんて事は、まずないからねえ。 逆に

言えば、そこからある一個の前提が導かれる」

 “魔女”は開けっ放しのドアにもたれかかり、悪戯っぽくくす、と笑う。

「君が本当は滅茶苦茶に強い、っていう虚像がね」

 その言葉は、僕の心を痛烈に抉る一撃。

 何故なら僕は。本当は。

「……強くなんか、ない」

 今の僕には、それが痛いほどによく分かる。

 あの頃の僕は――強く。誰よりも強くなりたかったのだから。

 何もかもを守りきれるほどに。

 何によっても傷つかぬほどに。

 

 ――あいつを救ってやれるほどに、強く、強くなりたかったのだから。

「そう、実際の君は弱っちい、後ろ向きなだけが取り柄の少し死にづらい一般人。要するに、

  別に実像なんか必要ないんだよ。大事なのは虚像とハッタリ。この二つさえあれば大抵の

  相手は退くものだからね」

「……」

 縛られている。

 いつの間にか、気付かない内に手遅れになっている。

 いつでも戻れると思って進んでいた路が知らない内に一方通行になっていたかの如く、その

虚名は僕を縛り付けているのだ。

 

****************************

 

 ――その後。

 どうにも機嫌を直さない毒舌少女の所に看護師さんがやってきて、先客の少年ともども僕らは

病室から追い出されてしまった。

 仕方がないので、「簡単な検査」とやらが終わるまで喫茶室で待つことにする。

「なるほど。確かに此処のコーヒーは美味しいですね。私は元来紅茶派なのですが」

 先ほどは様式美に拘る木村(仮)が座っていた位置に、今は長身の眼鏡をかけた先客の少年

が座っている。なるほど、熱い内に飲めばあのコーヒーはそこそこ美味しかったらしい。僕自身は

アイスティーを注文してしまったので憶測でしかないのだが。

 白川 周(しらかわ あまね)、と名乗ったいかにも「真面目な優等生」という雰囲気を纏った少年は、高校で生徒会長をやっているあの人外の右腕、生徒会副会長として頑張っているらしい。

 アレが生徒会長をこなしているという点でその高校がどんな事態に陥っているのか。正直、僕と

しては完全に想像の埒外なのだが……この少年と朱莉との関係性はそれだけに留まらない。

 即ち。白川氏は朱莉の異能者としての側面や、嬉し恥ずかし私生活まで含んだ右腕らしい。

いやはや、分かりやすい極めて著しく悪趣味な青春で何よりだ。どこまで段階進めたんだろうね。

「お、大きなお世話です!」

「ん?」

「いえ、なんでも」

急に声をあげ、黙り込む白川氏。

――まさか、古典的なパターンで僕の考えてることが口に出ていたのだろうか。

だとしたら申し訳ないか。何せ、一応今の僕の姿かたちはオンナノコなわけだし。

まがりなりにも年上の女に自分のお付き合いを想像されていたら、そりゃ赤面ものか。

幾ら中身が男といっても、教える義理があるわけでもなし。

「……」

「……どうしたの、僕の顔をまじまじと見て」

アイスティーを飲みながらそんなことを考えていたら、いつの間にか白川氏に凝視されていた。

……今度は何も言ってないよね。アイスティー飲みながらじゃ物理的に言えないし。

「あの……失礼ですが、女装趣味をお持ちで?」

「はぁ?」

いきなりのとんでもない問いに、紅茶を吹かなかったのは、自制心の賜物だろう。

むせないように慎重に紅茶を飲み下し、白川氏を睨みつけてみる。

「あのさぁ。君、僕が男に見えるわけ?」

 ――それはつまり。僕の外見が色気皆無な野郎に見えるということであり……この外見の前の

使用者と僕との関係性を踏まえて考えれば、僕の抱くべき感情は唯一つ。無礼に対する怒り

以外の何者でもないだろう。

「あ、いえ。その……」

妙に口を濁す白川氏。何だろう、さっきからまるで考えていることを読まれているような……。

そこで、はたと思い至る。そういえば、こいつも度し難く理解不能な精霊使いの一味だったっけ。

だとすると――白の精霊で、こっちの思考を読んだかな?

「……仰る通りで」

 僕の思考に白川氏は頷く。なるほど、厄介な相手が居たものだ。

 

強い意志力によって物理現象を捻じ曲げる、白の精霊。

“魔女”曰く、その恩恵は世間一般に「超能力」と認識されるような能力の付与にある。

スプーン曲げだとか、透視だとか、テレパス能力だとか、その辺だ。

目からビームがやりたい場合は黒、というよく分からない分類らしいが……その辺りは、気が

向いたら“魔女”にでも聞いてみよう。

 

 何が付与されるかは個人差があるみたいだけれど……今のやり取りから推察するに、この

白川という少年に読心能力が付与されているのは、ほぼ間違いないようだ。

「覗き見は感心しないけどね?」

「……面目ない」

 ――まあ、覗いてたら《健全な青春》だの《実は中身は男》だの言われてたら、動揺しても仕方な

いか。若いね。どこまで覗かれたかはわからないけど、女装趣味とかのたまう辺り、他人の姿形に

なっている原因――“廃都事件”関係は覗かれてないか。

「やはり貴女……“廃都事件”に関わってたんですか」

「……あ」

 しまった。まだ読まれていたらしい。

 

「指摘されたら遮断するのがマナーだと思うけど。とゆーか君、そうやってあの貧相な会長の頭の

中も覗いてニヤついてる変態なわけ?」

「そ、そんなことは……厳密には、漏れ出た思念波を拾っていただけなので、覗いているという

わけでは」

「同じことだろ。それって、更衣室の中に隠しカメラを仕掛けるか、更衣室の窓の外に隠しカメラ

 を仕掛けたか程度の違いでしかないと思うけど?」

 軽蔑込みの視線を向けると、白川氏もさすがに言い訳を打ち切り、赤面して顔を伏せる。

 しかし、「やはり」ね……ある程度目星は付けられてたって事だろうか。それはそれでストーカー

されているみたいでぞっとしない。

「ああ。えーと……半年前、失礼ながら貴女の周囲に関して調べさせていただいた時、明らかに

何者かの情報隠蔽の痕跡があったもので」

 ご丁寧に聞きたくもないフォローまで入れてくれるとは。

 僕、感極まって暴れ出したくなってきたよ……あれ?

「情報隠蔽って、誰の?」

「そこまではさすがに……直接情報収集に当たった緑沢さんなら、もう少し詳しく知っているかも

しれませんが」

 “魔女”の情報隠蔽ならば、この連中にまで隠されていることはないだろうし……腑に落ちない

けど、知らないものを問い詰めても仕方ないか。僕に関わる何事かを隠されているのは僕自身

だけじゃない、ということが分かっただけで収穫としておこう。

「何かを隠されている、ですか……」

「人の頭の中覗くの、いい加減にしてくれない?」

 白川氏の呟きに、思わずキツく反応してしまった。……分かっていても、覗かれていい気分は

しない。ましてや、こういう問題を考えている時だから益々苛立つ。

「しかし、こういう問題を考えている時だからこそ情報は共有するべきかと」

「……」

 どうやら、これだけ言っても覗き見を止めるつもりはないらしい。さて、僕はこの覗き魔に手元の

紅茶をぶっ掛けるべきか平手打ちを食らわせるべきか。

「……或いはあの会長さんにちょっとご注進してきてあげようか。君の彼氏がやたらと僕にご執心

だった、とでも」

「すみませんでしたもう二度としませんから許してくださいごめんなさい!?」

――冗談のつもりで言ったらマジで土下座されてしまった。

 こんなことを考えても土下座が解けない辺り、本当に覗き見を止めてしまったらしい。

 なるほど……この鬱陶しい眼鏡男子を黙らせるには、あの貧相な会長さんをダシに使えばいい

のか。後々の為に覚えておこう。

 

「……なに、してるんですか?」

 心底不思議そうな声に白川氏と僕がは、と顔を上げると。

 いかにも不思議そうな顔で、僕と土下座な白川氏を覗き込んでいるセーラー服の少女。

 メガネがずり落ち気味なのはこちらを覗き込むときにずれてしまったのか、それとも天然なのか

は分からない。割と、一見した感じではどちらもありえそうだからだ。

 背丈は下手をすれば僕より高いかもしれない。というか、確実に高い。もし、彼女がセーラー服

を着ていなければ、僕と同世代か、或いは僕より上に見られるかもしれない。

 そのくらい、高校生にしては大人びた印象を受ける少女だ。

 鎖骨辺りまで伸ばした髪型は、何処となく朱莉に似ているような似ていないような感じだが、

しかし雰囲気が決定的に違う。あの人外が纏っている雰囲気を物騒な重火器と評するなら、

こちらの大人びた少女はさしずめ柔らかな毛布やマフラー、といった感じである。

その決定的な差異は母性の有無、とでも言うべきか。実際に言ったら僕は焼死体だろうけど。

「あ、ああああの違うんですこれわっ!?」

慌てて立ち上がり何事かを取り繕おうとする白川氏。

 益々怪しさが増しているというのは、言わないでおいてあげた方がいいだろう。

 言ったところでどうにかなりそうも無いし、何より、見てて面白いし。

 眼鏡の少女は暫く意外そうな表情で僕と白川氏を交互に見比べた後、おもむろに白川氏の方を

向き、嗜めるように彼に人差し指を突きつけた。

「ダメですよ、副会長。男の子なら、ちゃんと責任を取らないと」

 

 思いっきり、勘違いされていた。

 凝固し、ゆっくりと床に倒れ付す白川氏を見ながら思う。

 安心しろ。お前がそうであるように、僕もそんな関係は願い下げだから。

 

************

 

「あの半年前の一件の方だったんですか……その節は会長や皆さんがご迷惑をおかけして

 申し訳ありませんでした。しかもさっきもあんな……」

「い、いや……僕も誤解を招くような行動があったわけだし、お互い様だよ。気にしないで」

 真っ白に燃え尽きた白川氏の隣で僕に深々と頭を下げている眼鏡少女――件の生徒会書記 緑沢清奈さん、だそうだ――は、第一印象通り非常に好感の持てる柔らかな物腰の少女だった。

 ただ、恐らくこの性格だと押しが弱く、自己主張も弱いだろう。あの人外に良いように使われて

いる様が目に浮かぶようだ。

 目の前に下僕一号と下僕二号。何とも業の深い話である。僕には関係のないことだが。

 しかし、緑沢……か。なるほど、丁度いい。

「そうそう、さっき彼とも話してたんだけどさ……半年前、僕関係の情報を集めてたのって、緑沢

さんらしいね」

 僕の真向い。真っ白になってぶつぶつと何事かつぶやきながら涙を垂れ流すだけの人形に

なってしまった白川氏を指しつつ訊いてみる。

――ちなみに、白川氏が燃えカスになったのは、彼の苦しい弁解に対する緑沢さんの無邪気な

突っ込みの連鎖によるものであり、僕は一切ダメージを与えていないことを強く主張しておきたい。

「ええ、そうですけど……」

「さっき話してた時、情報隠蔽がどうこうって彼が言ってたんだよね……その話、詳しく聞かせて

もらえないかな」

「……なるほど。わかりました」

 緑沢さんはふむ、と頷く。

「えーとですね。当時、私が調べた時の話ですが……まず、経歴が傷一つありませんでした。

不自然なほどに」

「……いいことじゃない?」

 むしろ、一般的に見て経歴に傷のある人の方が珍しいと思うんだけど。

「確かに普通の人ならそうかもしれません。しかし、経歴に全く傷がないにしては、当時の貴女は

あまりにも戦い慣れしすぎていました。素人の私の目から見ても、はっきりと分かる程度に。

半分は勘みたいなものでしたけど」

「……なるほど」

 それで徹底的に調べるつもりになったのか。

「色々駆使して調べた結果、貴女の経歴を持つ人間は存在しない、という結論が出ました。学校

も、住所も――おそらくは、名前すらも」

「それで、情報隠蔽とにらんだ、か……」

 さすがに「何処の誰か」までは分からずとも。最低限それが偽装である、という所までは見破ら

れたわけか。

 しかし、妙だ。

 他はともかく、少なくとも名前に関しては“魔女”が色々隠蔽工作をしてたはずだけど、それすら

伝わっていないのか。“魔女”と僕の接点までは気付かなかったか、或いは彼女が意図的に伏せ

ておいてくれたのか――どちらにしても、何やらきな臭い。

 後で“魔女”には話を聞いておく必要があるだろう。

「……こんな感じですが、他に何かあれば」

「いや、十分だよ。ありがとう」

 おずおずと聞いてきた緑沢さんに礼を言っておく。

 正直、この娘の方が朱莉よりよほど「生徒会長」に向いてると思うのだけれど。押しが弱そうな

ことを除けば、ほぼ完璧な優等生だ。

「君達みたいな真面目な人たちが片山さんに従ってるってのも、不思議な話だね」

思ったままのことを言ってみると、緑沢さんの表情が若干硬くなった気がした。

「そうですね……私も、とても不思議です」

 その声音に若干今までの柔らかさとは違った――確かに、朱莉に比べれば遥かに丸く、鈍い

ものの――険が混ざったように思えたのは、僕の気のせいだろうか。

 どういう理屈かは知らないが……僕の向かいで真っ白になったまま復活しない白川氏のように

単なる悪趣味で朱莉の下にいるというわけでもなさそうだ。

「――君とは、いい友達になれそうだ」

「お嫌いですか? 会長のこと」

「とってもね」

 僕は肩をすくめ、緑沢さんは柔らかな微笑を浮かべる。先ほど感じた棘は、もう何処にもない。

やはり、僕の気のせいだったのだろう。

「……オフレコでお願いしますね?」

「分かってる。久々にマトモな感性の持ち主に会えたからね。すぐに喪ってしまうのは惜しい」

 くす、と互いに笑いあう。素朴な秘密の共有なんて、何年ぶりだろう。

 と、ちらりと緑沢さんは僕の腕時計に視線を落とし、席を立つ。

「あ、ちょっと他の人達に会長の様子を連絡してきますね」

「ん、いってらっしゃい」

細かい所に気の付く人だった。おそらく彼女の気遣いで生徒会とやらも纏まっているのだろう。

 

 話し相手もなく、かといって白川氏を復活させるのも鬱陶しいので、少し氷が融けてしまった

アイスティーを啜ってみる。

 何とも中途半端な味がした。

 生きても死んでもいない僕には丁度良い、そう思える味だった。

 

「……私が目を離している隙に、ウチの白川に何して下さりやがりましたの?」

 

 ――背後から響いた妙にドスの利いた声に振り向けば。

 検査を終えたと思しき、入院服を纏った人外が、腕を組んでにっこりと笑っていた。

 どす黒いオーラがその背中から駄々漏れなのは非常によろしくない上に、殺気めいたものまで

感じるオマケ付きだ。

 ……おぅ、一仕事終えて紅茶をすすっている悪役じゃないか。僕のポジション。

 しかも緑沢さんがいないせいで、誤解を解くこともままならない。

「あー、彼が勝手にこうなってね?」

「黙りやがれですの」

 宣告と同時に、脇の椅子を朱莉は投擲。咄嗟に左腕で弾くも、鈍い音と共に嫌な痺れが前腕部

に残る。骨は辛うじて無事……かな? 手をさっと動かしてみると一応動くので大丈夫、と判断。

「さっきの枕じゃあるまいし。当たったら割と洒落にならないんじゃない?」

「当ててんですの」

 ――状況によっては色気ある台詞なのだろうけれど、残念なことにこの状況だと朱莉の貧相な

身体と同じくらい色気が皆無な台詞だった。

「最初から話聞く気ないね?」

「私、こう見えても身内には甘いんですのよ?」

 今度は机が飛ぶ。横へ飛びのくと同時、ガラスのコップと机が衝突して派手な破砕音。

 「ぐぁ」とか言う白川氏の悲鳴が聞こえた気がするけど、まあ、僕の知ったことじゃない。

 半年前のように火球を噴出す奇妙な銃が出てこないだけ、まだマシだと考えておこう。

 左腕の回復を確認。手近な椅子を手に取り、追い討ちのように飛んできた椅子を弾き返す。

 朱莉の頭部に当たるも――若干ふらついただけでダメージは見受けられない。頑丈なやつめ。

「女の顔に椅子をぶつけようだなんて、酷い人ですの」

「椅子とか机を投擲凶器として扱う奴に、女を自称してほしくないんだけどね?」

 ――もっとオンナノコに夢を見させてくれ、と叫びたいところだけれど、よくよく考えたら僕も女

でしたよね、今。

「……まあ、喧嘩したいなら乗ってあげようか」

「その余裕、いつまで続くかしらです……のっ!」

 朱利の左手から投擲された水差しを掲げた椅子で受け流し、肉薄する。だが、その僕の動きを

読んでいたか。すかさず朱莉は空いた右手で横薙ぎに僕のわき腹に椅子を叩きつける。痛覚で

一瞬意識が飛びそうになるも繋ぎとめ――上段から、朱莉の脳天に椅子を振り下ろす!

「痛ぅ……水もしたたるイイ女にしてやろうと思いましたのに」

「……願い下げだね、素材で勝負が僕の信条だから」

 僕が振り下ろした椅子は、朱莉の咄嗟の回避で左肩にめり込むにとどまり。

 朱莉の振るった椅子は、僕の脇腹に叩きつけられたまま。

 一瞬の均衡の後、椅子を朱莉に押し付けるようにして捨て去り、文字通り「飛び」退った僕の足の

僅か下を、貧相な身体を沈めた朱莉の足払いが薙ぐ。

 ――留まっていたら、床に倒されていただろう。と、背筋を冷やしながらすかさず飛んできた椅子

に手を絡め、その速度を殺して鹵獲して着地。

「あら残念。足元がお留守だったようですのに……というか、相変わらずダメージの割りに機敏に

動きやがりますのね」

「性悪女の攻撃はショウワルニウムが含有されてるから、正義のヒーローには効かないのさ」

 ご冗談を、と朱莉は笑い。

 自己暗示さ、と僕は椅子を構えなおす。

 ――正義のヒーローには後で謝っておこう。心の声とかで。

「てかさ、病院では静かにって君の高校では教えてないわけ?」

「超法規的措置ですの。白川の遺志に報いる為ですの」

 よく言う。精神的にトドメを刺したのはお前の所の書記さんで、身体的にトドメを刺したのは、

他ならぬお前自身だったと思うんだけどな?

 

「……お ふ た り と も ?」

 

と。僕の右側――対峙する朱莉からすれば、左側――から、昏い、怨嗟を含んだ声が響く。

 見れば。眼鏡の片側が割れながらも健気に復活した白川氏が仁王像の如く佇んでいた。

 おそらく、誰かが「おおしらかわよ、しんでしまうとはなさけない。おまえにチャンスをあたえよう」と

でも言って彼を復活させたのだろう。迷惑な話だ。机の直撃食らったまま沈んでいればよかった

のに。そうなっても手を汚したのは僕じゃなくて朱莉だから、僕の知ったことじゃないし。

「……ちょっと、そこに正座して下さいね?」

 その右手には、何やら剣呑に光るビームサーベルだかレーザーソードだかそのテの何やらSF

ちっくな代物が。どう見てもひのきのぼうじゃないし、無害にホームランしてくれるにはちょっと

刃渡りとか刀身の太さが足りない感じだ。

 しかし、超能力持ちでそのテの武器を使うって、まるでどこぞの某有名映画に出てくる禁欲主義

を掲げた武装集団みたいだ。レーザー砲撃ったら弾いたりするのかな。

「し、しらかわ……これは、その」

「言い訳は後で聞きますから、正座」

 保身に走ろうとした朱莉の言動を、白川氏(覚醒)は据わった目と静かな一喝で封殺。

 戦闘力計測器とかが僕に装備されていたら、目線を向けただけでその計測器は破壊されて、

僕は「故障かっ!?」と叫んでいることだろう。

 それほどの何かを僕が感じるほど、今の白川氏は覚醒していた。専ら、ヤバい方向に。

 大人しく床にぺたっと座り込んだ朱莉を見届け、白川氏(覚醒)の視線がこちらに向く。

 とりあえず、椅子を横に捨ててホールドアップ。

「……あー、一応僕は正当防衛しただけなんだけどね?」

「黙れ過剰防衛。貴女も正座です。会長の隣で」

 取り付く島もなかった。

 

 正座とともに始まった白川氏の説教を聞き流しつつ僕は痛感していた。

 ――間違いなく、今日は厄日だ、と。

 

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