六日目A:縄と制服

 

こと、世間というものは真贋の差異を気にしない傾向がある。

偽者と本物の差は、ほんの僅かな客観的な差異を除けば、概ね「自らが本物である」という

自意識の有無に収斂すると言えるだろう。

尤も、ごく稀に「自分は本物だ」と信じ込んでしまった可哀想な偽者がいたりするのだが。

しかし、他所様からすればそいつが本物だろうと偽者だろうと自分に影響さえなければどうでもいいわけで。

その辺りを人間関係のシビアさと見るか、或いは気楽な人付き合いと捉えるかでその人の

人柄がよくわかる、かもしれない。

僕個人がどちらの見方を採るか、それは殊更言うまでもないことだろうし、あんまり本質的な

事柄でもない。

 

見方を変えて、人が自分以外の誰かを演じるという心理はどのようなものなのだろう。

俳優のように「職業」としてやっている場合を除けば、大抵の場合自分自身にやれないことを

やるためだろう。

果たして、かの都市伝説がどのような経緯を経て他人の姿――外見と認識がズレている僕に

通用しなかったことから、おそらく他者の自己イメージ――を盗み着る能力を得たのかは、僕にはさっぱり分からない所ではあるし、今後も僕が知ることはないであろう語られない歴史なのだろう。

けれど、それでも一つだけ言えることがある。

たぶん、都市伝説の中の人は……かつての僕と似通った存在なのだろう。

あいつを喪ってしまうまでの、まだ生きていた僕と。

 

 

「うぃーす、調べ物終わったんで邪魔するよー……って、うぉ、暗っ!?」

 さて、怒涛のように過ぎた昨日を経て今日の朝。むしろ昼。

 大学が休みなのをいいことに惰眠を貪る僕の部屋に、不法侵入者が一人。いつの間に合鍵を

作られたやら。それとも“魔女”だけに魔法でも使って鍵を開けたのだろうか。だとしたら凄まじい

魔法の無駄遣いだ。

「んぅ……刑法230条違反……」

「そいつぁ名誉毀損だ。住居侵入は130条ね……ってか、何? 寝てたの? うわぁ……駄目

人間が居る」

 適当なこと言ったら、それなりに近いところに掠ってたらしい。数列的に。というか、この“魔女”は

何故即答できるのか。

 そして、地上4階から紐なしバンジーやって再生してその後大学という文句なしの殺人コンボを

やらかした翌日くらい、昼まで寝ていても何の問題もないと思う。今日授業ないし。

 特に、僕をそんな状況に追い込んだ元凶たるこの隣室の“魔女”には、昼まで寝ていたことに

関して引く権利はないと思うのだ。

「世の中最近週休ニ日制を採用してるじゃない」

「それで?」

「五日分どころか、昨日僕は一生分頑張ったわけで」

「ふむふむ、まあ普通のヒトなら墓場一直線ね」

「だから、今日は休業日ということで」

「ざけんな。起きろこの再生廃人」

布団を被ってやり過ごそうとしたら布団越しに足蹴にされ、掛け布団を引っぺがされた。

酷い、なんという暴虐。

それにしても、人を着ぐるみの再利用みたいに言わないで頂きたい。大体再登場した時って、

ボス級から雑魚に凋落してるし。ならば元が雑魚の僕は一体何処まで堕ちればいいというのか。

エキストラか、はたまたガヤか。

「てなわけで、起きたら昼ご飯作ってね。情報代」

 この“魔女”、一体どこまで盗人猛々しく振舞おうというのか。

 ……まあ、コンビニフードとインスタントラーメンで済ませているのを見ているのは、それはそれで

忍びないので作ってはあげるけど。

「んじゃ、茶色と白の斑に染まった野菜と、緑色の斑点が浮いた肉の炒め物でいいね?」

「……待てそこな外道! 何でも火を通せば喰えるとか、そういう文明人失格な理屈はおねーさん

いけないと思います!」

 というのも、この身体の仕様上、僕も普段は食事する必要があんまりないわけで。

 たまに買ってきたりした食材は、大体の場合は使い残して冷蔵庫で化学反応してるというオチ

なのです。みなさん、食料は大切に。

 それにしても、仮にも女子大生の部屋に勝手に合鍵作って不法侵入した挙句、居直って昼飯

まで要求しておいて、部屋の主に「外道」と言い放てる辺り、“魔女”も大概面の皮が厚い。

 あの唾棄すべき国家権力の犬どもを呼ばれておロープ頂戴になったとしても、あんまり文句は

言えない立場だということを少しは自覚してほしいと思いつつ。

「じゃあ、白い斑点が浮いた刺身でも」

「ええい、それ以上はまかりならぬ! ちょっと冷蔵庫見せなさい!」

声が響くや否や、僕は押しのけられて“魔女”が我が部屋の冷蔵庫を開く。

あ、卒倒した。失礼な人だ。

「ど、どんだけ管理サボったらこんな大惨事に出来んの!?」

「……たまに管理してるよ?」

――まあ、新しい物買ってきた時に一気に捨てるのだけど。匂いが気になってきたら買い替え

時。虫すらも無視していく凶悪さ……っ!

「あ、あ、あんたって人は……お百姓さんに失礼だと思わないの!?」

「……そりゃ、国産の真心篭った高い食材買ってるならともかく」

まあ、そんな物に学生風情が手を出せるはずもなく。

かと言って、どこぞの見知らぬ国で大量生産された養殖物やら量産野菜にそんなおセンチな

感情を抱けるほど僕も乙女じゃないわけで。

そういえば、どっかのお国では自分の所で作って出荷している野菜は絶対に食べたくないって

農家の人が豪語してたらしいね。嫌な世の中だこと。食料自給率、上がってくれないかなあ。

「……ともかく、君に任せといたらとんでもないことになりそうね……仕方ない」

ぐ、と“魔女”は冷蔵庫を封印し、立ち上がる。

「あたしに、良い考えがある」

 

***************

 

「……で。貴女方お二人は部外者の分際で生徒会室に割り箸持って忍び込んで何してらっしゃい

ますのかしら」

数十分後。件の規格外が通う高校の生徒会室。

今日は午前中で授業が終わりだったらしく、僕らが到着して程なくして生徒会メンバーがやって

きた。

そういえば、来た時微妙に校内が騒がしかった気がしないでもないが……はてさて。

目の前の規格外はというと、口に出すまでもなく「とっとと帰れよてめぇら」というオーラを背中

から立ち上らせ、額に青筋浮かべてにっこりと笑っている。

敵対的な笑顔とでも言うべきか。物騒この上ない。やっぱりこいつは嫌いだ、

「ひどいなあ、あたしは別に部外者じゃないよ? あかりんは知らないかもだけど」

対して、割り箸をくるくると器用にペンのように回しながら、飄々と受け応えする隣の“魔女”。

傍らには、どうやって借り出したのか生徒会室の鍵。

そして僕と“魔女”が仲良く着込んでいるのは、この学校の制服だ。全く、どこでどーやって手に

入れたのやら。

「嘘だと思うなら、丹河センセに聞いてきてごらん?」

「警備員呼んでもらってつまみ出してやりますの」

憤然と立ち去る生徒会長。

間違いない。ヤツはやると言ったらやる。

「……僕、まだおロープ頂戴したくはないんだけど。逃げてもいいかな?」

「まぁ、あたしに任せときなさいって」

縮こまる僕と対照的に、悠然と構える“魔女”。一体どこからその自信は湧き出るのやら。

「あの……」

と、そこで横からかかる声が一つ。

見れば、病院で遭遇した気弱そうな書記さんこと緑沢さんが、ティーカップを二つ僕らの前に

置いてくれていた。

どうも、この不届きな客二名にわざわざ茶を淹れてくれたらしい。

そんなに気を使う相手でもないし、気を使われる理由もないのだけれど……そこはやっぱり

朱莉との器の差というものか。

不意の来客への対応には素の人柄が滲み出るというが、正しく今はその好例かもしれない。

それにしても。二日ぶりな筈なのに、妙にお久しぶりな気がしないでもない。

それだけ、あの墓場直行タイムからの一連の流れの密度が濃すぎたということか。

どうやら、僕の日常は想像していたよりも遥かに深刻に非日常の侵蝕を受けていたらしい。

困ったものである。

「あぁ、そういえば澪瀬のご当主はお元気? 最近顔出せてないから、そろそろあたしの顔なんて

忘れてると思うけど。あの人」

「……私も用がない限りあの家に立ち入りたくないので、わからないです。あの人、会長を更に酷く

 したような感じですし……」

「まあ、わからないでもないね」

 緑沢さんは若干表情を翳らせてうつむき、“魔女”は呵呵と笑った。

 ――三年前の“廃都事件”。その舞台となった場所を管理する立場だったという澪瀬家の生き

残り。割と分け隔てなく接しそうな緑沢さんと、理不尽な顔の広さの“魔女”の両方から避けられる

とは、どれほど特殊な人格の持ち主なのだろうか。朱莉に輪をかけて酷い、ということは相当の

人格破綻者なのだろう。

 正直、僕としてもそんな人には終生お目にかかりたくないところだ。僕の場合、立場上顔を合わ

せた瞬間殴られても文句が言えないだけに、尚更に。

「……一昨日は、ありがとうございました。貴女が居なかったらどうなっていたことか……」

緑沢さんがポットを洗いに行った隙に、残っていた白川氏も僕に囁いてきた。

やれやれ、三者三様の対応で困ったものだ。

「別に、あんたの恋人を助けようとしてやったわけじゃないよ。僕は僕のやりたいようにやった

だけだ」

「こ、恋人……」

とりあえず無難な言葉を選んだつもりなのだけれど……途端に赤面して白川氏は黙り込んで

しまった。

ほうほう。初々しくて結構だね。おめでたいね。

どんだけ僕の神経を逆撫ですれば気が済むのか。この健全高校生日記なお二方は。

一昨日はまあ、期せずして覗いてしまったという負い目もあったし、白川氏自身が唾棄すべき

覗き見行為に及んできたおかげで、惚気の方はそれ程気にならなかったけど、改めてこうして

見せ付けられると……流石の温厚な僕でも少しイラッとくる。

――椅子で乱闘したり、出会いがしらにグーで殴っておいてナニが温厚か、と言われれば返す

言葉もないし、イラっときたからと言って何をするわけでもないけど。どうもこの白川という少年、

隣の事情通曰く僕との相性が最悪なそうだし。

 ……と、そこまで考えて気付く。ここまで否定的な感想を抱いている僕に、“稀代の脳内覗き魔”

こと白川氏が何も言わないのっておかしくないか。

「あれ? 今日は覗いてないの?」

「覗かれたいと仰るなら覗かないこともありませんが。そこまで非常識な人間じゃありませんので」

病院での不躾っぷりは何処吹く風。飄々と白川氏は僕の問いと怪訝な視線を受け流す。

なるほど、学校内ではいい人ぶってる偽善者だったか。

「……そういえば、あかりんの傷の具合はどう?」

 僕らの軽い鞘当てが終わった所で、“魔女”が白川氏に水を向ける。

「事故での負傷に関しては問題なかったそうですが、昨日の誰かさんとの乱闘で負った左肩部

打撲傷と、《ドッペルゲンガー》との交戦で頭を打ったりしたのが災いして、学校が終わったら

病院に逆戻りだそうですよ。可哀想に……」

白川氏は僕らを睨みつける。

 僕に対しては、おそらく左肩に負わせた傷を責める意味で。

 “魔女”に対しては、入院が“魔女”の差し金だろう? と探る意味で。

「こっちの話を聞かずに喧嘩を売ってきたのは朱莉の方だってあんたも知ってるだろう? 正当

防衛だよ。責められる筋合いはないね。あんたの恋路の為に黙って殴られてやるほど、僕は

お人好しじゃあないよ」

まあ、どの道後ろ暗い所がない僕は肩をすくめて開き直るしかないわけで。

「万一後遺症が残ったら白川君だって後味が悪いでしょ? 検査一日、怪我一生。『どういうわけ

だか』格安でやってくれるらしいじゃない。可哀想だなんてとんでもない」

 “魔女”もまた、鼻で笑って茶を一口。つくづく面の皮が厚くできている。

「事故を利用して会長を病院に閉じ込めておいて、何を抜け抜けと……っ!」

 対して、“魔女”の返答に鼻白む白川氏。まあ、こっちを責めるほど脳足りんじゃあないか。少し

は株価が上昇したかもしれない。少なくとも、無料から紙切れの原価程度には。

「まぁ、閉じ込めといた先に突っ込まれちゃったのはあたしの判断ミスだけど……これで戦闘関係

の特性がよりはっきりした、と考えれば悲観ばかりすることでもないよ」

しかし、"魔女"も白川氏の真っ直ぐ過ぎる追及に怯むようなタマではなく。空になりかかった

カップを傾け、不敵に笑う。

「アレの中身は純正の人間だ。次は適当に見繕った囮でも立てて毒ガスか爆炎にでも沈めりゃ、

確実にオチるね。こっちが手段を選ばなければ、次の遭遇が《ドッペルゲンガー》の最期さ」

勿論、そんな後味の悪い手段は採りたくないけど、と空々しく付け加える"魔女"だったが、その

表情はいっそ清々しい程てらいの無い外道スマイルのままである。白川氏の絶句と僕の沈黙が

それで緩和されるはずもなかった。

 白川氏の思惑はともかく。こっちとしては、僕の過去を喋ってもらう為にも生きたままで事態の

終焉を迎えてもらわないと困るわけで。毒ガスやら爆弾でお亡くなりになられた日には、それこそ

僕はやられ損……。

 其処まで考えてはた、と気付く。

 なるほど、この結論は《ドッペルゲンガー》から取引を持ちかけられた時点で思い至っていても

おかしくない。《ドッペルゲンガー》が返り討ちに遭わないという前提においてこそ、あの取引は

意味があるということだ。

 第一、他ならぬ《ドッペルゲンガー》自身が「そう長くやる気もない」と言っていた以上……奴が

目的を果たすまで放っておいたら、雲隠れされてしまう可能性もある。こっちには、引き留める術

などないのだから。なんてことだ。穴だらけじゃないか、あの条件……引っ掛かりは、これか。

 見えているからこそ忘れていることもある、か。自分が負けた直後だっただけにすっかり忘れて

いた。不覚。

 となると。動かずにいれば真実が目の前を通り過ぎてしまうと分かった以上、僕が過去を

手にしたいならば、《ドッペルゲンガー》と敵対するしかなくなったわけだ。

 しかし、一人で《ドッペルゲンガー》を相手にして勝てるかといえば……かなり、絶望的だろう。

 この不死身の身体を活かして自爆トラップでも仕掛ければ「勝つ」分には――アレの中の人が

人間ならば――何の問題もないだろうけど、下手をしなくても殺してしまう可能性が高い。今回は

「勝つ」ことより、むしろそのあと「聞き出す」ことの方が重要である以上、殺してしまっては、何の

意味もない。

 つまり、僕が過去を手にしたいならば《ドッペルゲンガー》を「死なない程度に無力化」した上で、

尋問して聞き出さないといけない。病院で惨敗を喫したことを考えると、かなりの無理難題だ。

「……囮を立てると言っても、その囮に相手が食いつかなければ何の意味もありません。先日の

読み違いをどう挽回するつもりです?」

「まぁね。相手の行動パターン予測はちょっと考える必要があるかも。なら、白川君の頭には、

他に何かいい手があるのかな? あるなら、聞かせてほしいけど」

「それは……」

――こっちが考えている間に白川氏と“魔女”の攻防が始まっていた。

 さて、この場合僕は誰かしらと組んで《ドッペルゲンガー》を迎撃したいわけだが……まず、白川

氏は論外。生理的に御免被るところだ。朱莉も同様。緑沢さんは性格的な問題はないものの、

性能的に問題がありそうだし……出来れば、ああいういい人は巻き込みたくない。やはり却下。

 となると、今近場にいる人で一番有力なのは“魔女”か。確かに、今のところ僕と利害が対立

してはいなさそうだけど。

 だが……万が一“魔女”が僕の過去をぼやけさせている原因ならば。僕は背中を見せてはいけ

ない相手に背中を晒すことになる。それだけは、絶対にあってはならない。

 ――ならば。此処は“魔女”の真意を確かめておく必要がある。

「そういえば、《ドッペルゲンガー》に遭遇した時ね……手を出すなって言われてさ。僕もその申し出

に乗ろうかと思うんだ」

 流れも何もない唐突な切り出しに、白川と“魔女”の舌戦がぴたりと止まる。二人の顔に浮かぶ

は、共に僕の意図を探るような表情。

 沈黙を挟み、白川がおずおずとこちらに聞いてくる。

「嘘ですね……貴女はその申し出を断るつもりのようですが?」

 どうやら、僕の頭を覗いたらしい。予想通りだ。というか、ここで話が終わったら僕は涙目だ。

「はは、やっぱり嘘は通じないか。さすが、人間嘘発見器。まぁ、手を引き損だからここで抜ける

つもりはないけど……ただ、僕としても背中を預ける相手のことは信頼したいんだ」

僕は、未だ意図がつかめないといった風の“魔女”を見据える。

「丁度人間嘘発見器な白川さんがいることだし…… “魔女”、ちょっと僕らの疑問に答えてほしい。

その答えによって、僕は今後の身の振りようを決めようと思う」

 白川、合点がいったという表情。

 “魔女”、「正気か?」と言わんばかりの困惑顔。

 ――確かに危険な賭けだ。これで万一僕の履歴が露見したりすれば、朱莉達とは即座に全面

戦争ってところだろう。まず、この高校から無事に帰れる保証がないのは確かだ。

 だが。一度白川氏に頭の中を覗かれてしまったにもかかわらず、僕らはこうして此処に居る。

全面戦争に陥ることも無く、だ。

 だからこそ、白川氏の慎みに賭けてみる価値はある。

 そして聞くべき質問は、唯一つ。

「……僕の記憶は操作されている可能性がある。お前がそれをやったのか? 或いは、お前は

それをやった奴に加担しているのか?」

「いいや」

 即答。“魔女”は肩をすくめて信頼されてないねえ、と苦笑する。

「そんな面倒くさいことに手を染めるほど、あたしは暇人じゃあないよ」

 白川氏に視線をやると、彼は少し吟味するような表情を浮かべた後、頷く。

「嘘じゃありませんね。“魔女”さんの言っていることは間違いないです」

「……そりゃ、何よりだ」

 白川と“魔女”が結託して嘘をついている、或いは白川が“魔女”を利用して情報を隠蔽している

可能性はないとは言えないが……其処まで回りくどい手段をとる理由が彼には存在しない。

「では、“魔女”さん……この機会に、私の疑問にも答えていただきたいです」

 そして、今度は白川が口を開き、僕は安堵する。魔女と結託しているならば、彼自身が重ねて

質問を行うなどという茶番をする意味もない。僕の過去それ自体も、彼の疑問であることに変わり

はないのだから。つまり――“魔女”と白川が結託している可能性はほぼ排除されたということ。

とすれば、“魔女”は信頼に値する相手だと言えるだろう。

「以前から。半年前、会長が帰ってきたあの日から、ずっと疑問だったのですが……貴女達は、

会長に何を見せたんです?」

――今度は僕と“魔女”の頭上に疑問符が乱れ飛ぶ番だった。

半年前。

 朱莉が一週間行方不明になった一件。

 そう言われてみれば。鉄橋の崩落と同時に姿をくらませた毒舌少女を誰よりも、親族や教師達

よりも必死に探していた少年が居た気がする。

「あの一週間以来、会長は変わってしまった。以前は……そうですね。何に対してもがむしゃら

でした。どんなことについても高みのみを求め、決して妥協しない人だったんです。それが今

では……」

 白川氏は一瞬口調を濁し、続ける

「……よく言えば、己の限界を弁えたというか……慎みを知ったというか……今の彼女は達観

 してしまっているんです。"自分なんてこの程度だ""この辺りが限界だ"、という風に。悪く言う

ならば……昔に比べてつまらない、とてもつまらない人間になってしまったと思うんです」

 僕は思わず「いいことじゃないか」と呟きかけてその声を飲み込む。

 恐らく白川氏は、そのがむしゃらさに……妥協を許さないストイックさに惹かれて片山朱莉の

右腕となったのではないだろうか。

 だとすれば。そうなのだとすれば。自分が惹かれていたその要素が喪われてしまっていたことを

知った時の絶望は、一体どれ程のものだろうか。

 そして、そんな相手に「いいことじゃないか」と追い討ちをかけられるほど、僕は人間を辞めて

いない……たとえ人外めいた身体になっているとしても、心まで人外になったつもりは、ない。

 それは恐らく。越えてしまってはいけない一線だと、そう思うから。

“魔女”の表情を伺い見る。

彼女もまた、整った顔立ちをしかめて返答に詰まっていた。おそらくは、“魔女”が辿った思考の

筋道も、僕と同様のものだったことだろう。

「会長は何も語りません。だから、本来私が触れるべき事柄ではないのかもしれません……

ですが、それが分かっていてもなお、私は知りたいのです! 私が……憧れたあの人を、一体

何が殺してしまったというのか! 私は一体何からあの人を守ればよかったというのか!」

――それは血反吐を吐くような少年の叫び。

 虚飾も偽善も、己に課していた不可侵の制約すらかなぐり捨て……真実のみを求めた悲痛な、

そして愚直な叫び。

朱莉に誰よりも憧れ、朱莉を誰よりも想っていたからこそ迸った激情の発露。

僕にとってのあいつと同じように、白川氏にとっての“かつての朱莉”は「守りたかった存在」で

あり、「そのままで居てほしかった存在」なのだろう。

それは最早、戻らぬ過去にして、叶わぬ今。

 なるほど、と僕は得心する。一昨日病院で遭遇した時、白川氏はこれを探る為に僕の脳内を覗く

ような真似をしたのだろう――おそらく、彼の矜持もプライドも曲げて。もしかすると、あの時本当に

揶揄されるべきだったのは、彼の意図を汲もうとすらせず門前払いにした僕の方だったのかもしれ

ない。

 しかし、その意図が分かってしまったからこそ朱利の変容について何も知らない僕は、白川氏に

与えるべき言葉を持たず。“魔女”も茶化すことなく、真面目な風情で応対する。

「申し訳ないけど、あたしはそれに関して具体的なことは何一つ知らない。大まかな経緯くらい

なら分からないこともないけれど、その中の一体何があかりんに影響を及ぼしたのかは……

あたしには、さっぱりわからない」

 白川氏はその答えに一瞬殺気立ち――失望の色を顔に浮かべる。

 おそらく、彼の能力をもってしても、“魔女”の言葉に嘘偽りは見出せなかったのだろう。

 その失望を知ってか知らずか、魔女は続ける。

「ただ、それを踏まえて……あたしなりの推測を述べるならば。おそらく……あかりんは何かしらの

到達点に辿り着いちゃったのかもしれない。或いは、どれほどあかりんが自らの超常を鍛え

上げたところで、磨き上げたところで、絶対に辿り着くことができない何かを目にしてしまったか。

いずれにしても……限界を目の当たりにしたんだろうさ。あの一週間の間にね」

 “魔女”の口調に、悔恨のような響きが混ざったのは果たして僕の気のせいか。

 ――まるで、自らもまた何かの限界を目にしてしまったかのような。

 よく見れば、“魔女”の笑みは普段その顔に浮かべているような余裕の笑みや企むような笑顔と

違い。諦めの色を含んだ微笑になっていた。

 その笑みを見て白川氏は茫然、と口を半開きにしたまま停止する。

 恐らくは彼もまた理解したのだろう。眼前の“魔女”が、かつて朱莉と同じ道を辿った末の結果

なのかもしれない、ということに。

 数時間とも思える暫しの沈黙の後、白川は震える声で口を開く。

「……それは、蓮田さんと関わりのあることですか?」

「あたしは、そう睨んでる。だから、君はあいつが戻ってきたらその質問をぶつけてやればいい」

 戻ってきたら、か。

おそらくそいつは、朱莉の封印を解く権利者。この舞台には介在しない誰か。

その不在を以ってこの致命的な現状を作り出した――事態の、元凶。

 気に食わない。自分の運命を他の何者かに左右されているような不快感が胸を渦巻く。

 少し前なら、そんなことはおそらく気にもならなかったのだろう。

 だが、今は。過去が奪われていると気付いた今は。現在、そして未来をも奪われてしまうことに

対して、多少の苛立ちを感じるのだ。

――ふと苦笑がこぼれる。これでは朱莉と同様か、それ以上のエゴイストと言われても何の

反論も出来ない。護られるべきは僕の現在でも僕の未来でもなく、他ならぬあいつの現在であり、

未来であったはずなのだから――

 

――と、そこに。苛立ち気味なのか、カツカツと甲高い足音が響いてくる。

足音の数は、一つ。

「……あの規格外一人……かな?」

警備員と思しき足音がしないところを見ると、どうやら、おロープ頂戴は免れたらしい。今回も

前科持ちにならなくて済んだようだ。

「噂のご当人がようやくご帰還だ。まったく、わざわざ確認に行くんだものねえ。こりゃ、向こうで

相当いぢられたかなあ。楽しみ楽しみ」

“魔女”は悠然と紅茶を味わいながらにやり、と悪戯っ子のような笑みを浮かべるのみ。

なるほど、根拠皆無な自信というわけでもなかったらしい。

白川氏はといえば、虚脱状態から辛うじて立ち直り、少なくとも表面上は冷静を装っている。

――さすがに、恋人にみっともない姿は見せたくないか。

ある種それは、男特有の意地みたいなものかもしれない。

 

がらり、と扉が開く。開いた扉の先に佇むは苦々しそうな表情を隠そうともしない生徒会長と、

控えめに佇む緑沢さん。

足音の数と人数が合わない。おそらく、緑沢さんの方は中の話が話なだけに、気を使って外に

居てくれたのだろう……どんだけいい人なんだか。白川氏や朱莉みたいなイロモノには、過ぎた

仲間だろう。

「知りませんでしたの。しかもウチの顧問の直弟子って……」

――それは苦々しいというか、むしろ完全に怒っている部類の表情か。

「そりゃあ、今まで教えてなかったからねえ。まぁ、あたしゃ不肖の弟子だからね。ししょーの弟子を

自ら名乗る資格はないさ」

 対して、“魔女”は全く変わらず飄々と受け流すのみ。

 ……どうやら、この場は朱莉の劣勢に傾いたようだ。

「不覚ですのマジで卒業生だなんて考えても居ませんでしたの」

がくり、と膝を落とし追い出し損なった事を心底残念がる規格外。

……ご愁傷様としか言いようが無いが、ともかく。

「……卒業生?」

「うん」

そりゃ僕も初耳だ。

どうやら、この高校はロクでもない人材の育成に力を注いでいらっしゃるらしい。

むしろ、一体どんなカリキュラムを組めばこんなヨロシクナイ人間を二人も育成できるのか。

善良な一般市民気取りの僕としてはさっぱり見当がつかない。

――というか。考えてみればこの高校って白川氏やら朱莉やらその他諸々の精霊使いを輩出

しているわけで。

そのうち、極道出身のえらく強い先生とか出てきたりしないだろうね全く。僕もイロモノばっかり

相手にする趣味はないんだけれど。

或いは、漢字の成り立ちとかにこじつけてありがたーい人生教育施して下さる国語教師とか。

アレは中学だっけか。

……いや、確かに真っ当に生きてる中高生にならアレって効果あるのかもしれないけど……

 

この部屋に居る連中で効果ありそうなのって緑沢さんくらいだ。白川氏も女の趣味が既に人生

真っ当に生きられない方向で固まってるし。僕や“魔女”、朱莉は言うまでもなし。

 

そんな益体もないことを考えているうちにようやく朱莉は立ち直り。咳払いの後に単刀直入に

聞いてきた。

「……で、卒業生が一体何の用ですの」

「よくぞ聞いてくれたあかりん

 

 昼飯おごって」

立ち直って早々ぐしゃ、と再び潰れる生徒会長。

……まあ、仮にも大学に通ってる卒業生が高校生に言う台詞じゃない。

「何が、どうして、どうなって、どう転べばこの私が貴女がたにご飯を奢って差し上げなければなら

ないんですの!?」

「うぃ あー ゆあ 恩人」

「カタコトで言うことじゃねーですの! おちょくってますの!?」

「はっはっは、何をいまさら」

ふと、“魔女”が此処に来た理由がわかった気がした。

朱莉をいぢれて且つ飯もねだれる。なるほど、中々良い寄生先……もとい、暇つぶしの標的を

見つけたものだ。さすが、性格の悪い人は考えることからして違う。

 

「……仕方ないですの。んじゃ、貴女達には人ばし……もとい、実験台になってもらいますの」

十数分の口論――お隣さんによる朱莉いぢりとも言う――の末、朱い規格外は妥協案に

走ったようだった。

「実験台?」

「ですの」

朱莉はスカートの右ポケットからおもむろに鍵束を取り出し、その内の一つで生徒会室片隅の

引き出しを開ける。

そこには、いわゆる食券と思しき物体が大量に。

「か、会長! それは蓮田さんの!」

一体どのような経路でその引き出しに収まることになった代物なのか。慌てる白川を尻目に、

無造作に朱莉はその中から数枚を掴み出す。

 ……というか、また蓮田か。どれだけアレな人材なのか。お目にかかってみたくは……ないな。

「まあ、副会長の慌てっぷりからも分かって頂けるように、これは真っ当な手段で手に入ったもの

ではありませんの。そして、これらの消失が表沙汰になってしまったのかどうかは、私達にも

未だに分からないところですの」

――仮にも生徒会長やってる人間の発言とは思えない言い分であった。

“魔女”も流石に一瞬面食らっていたが……そこはやはり、僕とは役者が違うようで。すんなり

立ち直り、応対し始める。

「なるほど。つまり、小心者の君達は自分で使ってみる勇気はない……まずはあたしらに、それが

利用に供せる代物かどうか、実験しろということだね」

「そういうことですの。それに、これを入手してきたのは蓮田 風子――貴女のご友人でもありますし」

 朱莉の不可解な言葉にふむ、と“魔女”は顔をしかめた。

 どうやら、件の蓮田と“魔女”とは友人関係らしい。……まあ、封印に関する“魔女”の口ぶりでも

何となく想像がついていたところではあるけれど。

 それにしても、 “魔女”の顔の広さが不利に働く場面は初めて見た。こういうこともあるものか。

「奴の仕業か……あぁ、よくわかったよ。そいじゃ、あたしと連れの分貰ってくよん」

斯くして。犯罪者にならぬと喜んだのも束の間。僕は別の新たな犯罪の片棒を担がされることと

なってしまった。当然、僕の意思は全く無視で。

……不法侵入の次は窃盗でおロープ頂戴の危機。

全く、いろいろと勘弁してほしいものだ。本当に。

 


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