一日目A:生徒会室の風景

 

 

 その日、生徒会長が自分の城……というか生徒会室に入ると、窓際で黄色い制服の少女が

黄昏ていた。

「……やぁあかりん。僕はもうゴールしてもいいよね?」

「窓際風前の邪神もついに完璧に失職ですの? 残念ながら、当生徒会では人外には追い出し会

すらしてあげられませんのよ」

「……いあいあはすたー、ボクもう疲れたよ」

 世界を鮮やかな薄紅に染める残光の中で、魂でも抜けたかのように虚ろに妄言を垂れる黄色い

制服の少女と、すっぱり切り捨てる無意味に荒んでいるというか、透徹した雰囲気の少女。

知る人ぞ知るが、黄色い制服のほうは正しく人間以外のコズミックホラーな何かであり、また

朱莉とて世間一般で言われる「一般人」からは一歩どころか走り幅跳び並みの踏み外し方をして

いる「人外」にカテゴライズされる。

……とは言え、容姿と外面と面の皮だけはフルプレートアーマー並みに分厚い二人(?)のこと、

身内に数えられる数人以外には片鱗も見せずに猫をかぶるなど、朝飯前である。

「で、一応義理と付き合いの長さに免じて耳を貸してあげなくもないので……何があったのかちゃっ

ちゃと語りなさいの。20文字くらいで」

「微妙にせせこましい上に激しく恩着せがましいね!?」

「夕暮れで哀愁漂わせてる邪神に言われると、人として激しく心外ですのでやっぱり黙って死んで

下さりやがれですの」

笑顔で親指を下に向けて「死ネ」サインをくれてやる生徒会長をジト目で眺めると、生徒会役員

蓮田こと異界出身の木っ端邪神のそのまた端末は、無言で自分の前にあったそれを机の上で

滑らせた。

途中にあった筆箱やらお菓子やらを何故かホップステップして飛び越えて手元に来た封筒を

不審げに手に取り……今度は、傲岸不遜の生徒会長がその顔色を赤、青、白と某国の国旗の

ように変遷させた。

「……これが悪戯の類なら、わたしはその主犯を心底褒め称えた後で黒焼きにして、皮を剥いで

から朽ち果てるまで生徒会室に磔刑にするとこですの」

「馬鹿言っちゃいけないよ。この近隣、あるいは「あそこ」の近隣で「コレ」の名前使って悪戯する

なんて……」

蓮田はもはや笑っているのか嘆いているのか判然としない表情で、虚ろに壁のシミとかその辺

を眺めつつ乾いた声で断言した。

「……邪神どころか旧神、世界守護者の類でも絶対ありえないってば」

「それだけは同意できますの」

蒼白になったまま何か恐ろしい物体を掴んでしまったかのように、恐る恐る手にしていた封筒を

机に戻して後ずさる朱莉。一見何の変哲もない茶封筒に見えるそれには、宛名と送り主の名前の

ほか……何故か切手を貼るべきところに描かれた幾何学模様。

中から零れ落ちた手紙と思しき便箋が、赤染の生徒会室に床に落ちてひらり、と開きながら

舞った。

「こんどヤボ用で遊びに行くから、お茶と銘菓よろしく!」

……送り主「帝国軍第13特殊部隊所属、244号基地。和沙=S=アルトヴァーペン」

世界に、馬鹿がやってくる。

 

明くる日。

蓮田は生徒会室に置手紙をして何処かへ逃げ去っていた。

明朝に生徒会長の咆哮を聞いた教職員が居たとか居ないとか。

まあ、蛇足。

 

 

白川 周がその日生徒会室に来てしまったのは――彼の職務や人格から言えば当然というか

むしろ来ない方がおかしいのであるが――しかし。彼にとってこれから数日に及ぶ苦行と困惑の

日々の発端となってしまったという一点において……正に不幸の始まりだったと言うしかあるまい。

「やほー、おはよ」

「……遅いですの、白川」

いつも通り始業の30分前には生徒会室の扉を叩いていた白川を迎えたのは、聞き覚えのない

声による明朗な朝の挨拶と、これ以上ないほど聞き覚えがあるのにかつてないほど危険な気配を

漂わせた生徒会長の声だった。

 長い付き合いである。声音だけでもその日の機嫌を窺い知るのは、むしろ生徒会役員の必須

スキルですらある。

「お早うございます……?」

一瞬朱莉の漂わせるただならぬ不機嫌雲に躊躇しつつ生徒会室へ足を踏み入れて、白川は

とりあえず驚いた。

常識的・非常識合わせて驚くことには耐性が付いていると思っていた白川副会長であったが、

まだまだ世の中は広かったのだと思い知る。

 どう見ても地毛の長い銀髪。

 肩から被った、青色を基調とした不可思議な材質の長外套。

 腰に固定されたやたら使い込まれた印象のあるコンバットナイフらしき武器。

 その上、淡く周囲を取り巻くオーラのような青い燐光。

……ここまで異常な風体を備えていて、その上に。

「……う、うちの学生さん……ですか?」

「うちの学校にこんな学生は、開校以来一人たりとも居ないと断言できますの。って言うか切実に

居て欲しくないんですの」

 この学校のセーラー服などきっちり着込んでいるのが、逆に物凄い違和感を醸し出していた。

いや、醸しているというか撒き散らしていた。

 似合わないわけではない。メリハリの効いたスタイルに長身、溌剌とした雰囲気の東洋系……

というか明らかに日本人と思われる造形の顔かたち。長く伸ばした銀髪がそれにエキゾチックと

言うか、神秘的な空気を添えている。

 むしろコーディネートも含めて美人といって差し支えないだろう。

 ……そしてだからこそ、着込んでいるのは妙にキツそうな(主に腰周りとか胸とか)学生服で、

総括して全く持って学生には見えないという、不思議な調和に陥っているわけなのだが。

「まあ、蓮田さんの例もありますし。もしかしたらそう言う人もいるのかも……と」

 校則違反もなんのその、全体黄色尽くしの特注と思しきセーラー服を着込んだ生徒会のメンバー

を思い起こしつつ応じる白川だったが……しかし。

「残念ですけど「コレ」はあのお気楽黄色尽くめの100倍はぶっ飛んだ代物ですの」

 天を仰いで不機嫌一直線のまま、朱莉が続ける。

「この超絶お気楽物体と来た日には、周りで起きる事件が一から十まで『精霊獣』の大量発生が

朝飯前のラジオ体操に思えてくるくらいの……」

「か、会長!?」

 ため息混じりに言う朱莉の発言に、むしろ慌てたのは白川である。だが、朱莉は止まらずに更に

白川を硬直させるに足る発言を追加する。

「って言うか、三日に一度はあの『廃都』事件くらいの大惨事に関わってませんの?」

「あの『廃都』がどの『廃都』かは解らないけど……まあ、都市規模・国家規模・世界規模と一通り

遭遇したことはあるよねぇ……」

「……って言うか良いんですか、本当に。そんな禁句中の禁句を……」

 『精霊獣』。以前出現し、朱莉と白川他数名の「異能者」によってようやく駆除された異形の生命体達については、関わった者たちの間で厳重に秘匿していたのである。

 ましてや『廃都』事件……都市ひとつを完全に地図の上から消し去った大惨事に関してなど、

語ることすらタブーである。

「コレは明白に「こっち側」……と言うよりこっちを突き抜けて遥か彼方にイっちゃってるくらいの、

世界違いのヒトですから」

「さっきから「コレ」とか「ヒト」とか、なんか酷い扱いだね?拗ねるよ?」

「拗ねてなさい。二十歳も過ぎてちゃっかりセーラー服着ちゃってる上に微妙に似合ってない変な

ヒトは」

 ちょっとむっとした表情で抗議する銀髪の人を、すっぱり切り捨てるように無視する朱莉。普通の

相手ならばこのやり取りの時点で鼻白んで黙るのが常であるが、しかし。

「似合わないのは、サイズが合わないからだと思うんだ。もっぱら胸周りとか裾とか」

「……(ぷちん)」

 本来の持ち主が着ていた時には(少なくとも白川の知る限り)ありえなかったような張り詰め具合

になっている制服の(主に胸元とかを)窮屈そうに引っ張りながらボヤいた和沙の反応に、冷静な

ままで朱利の中で何かの撃鉄が落ちた。

 何かが切れてしまった音がしたような気がしたのは、白川の幻聴か。切れたのは彼の主観で

述べるなら堪忍袋の緒と言うか、むしろ手榴弾の安全ピンと言うか。

 危険を感じた白川がとっさに身をかがめると同時に、顔を憤怒の赤に染めた生徒会長が怪鳥の

如き奇声を上げて床、椅子、机を見事な三段蹴りで蹴立て、生徒会室の狭隘な空に舞い上がる!

 

『その姿は斜陽を背に水面を蹴立て、天に舞い上がる水鳥の如く。

蹴り足は猛禽の爪の如く、頭蓋を抉る事、水面を貫く川蝉の如し』

 

「あれは、学園生徒会に伝わる最終奥義・伝説の蹴り技 “飛翔朱い白鳥スペシャル〜伝説の

首吊り桜の下で〜”!?」

 ……というかさっきから何だそれは。っていうか朱いのに白鳥ってどんなだ。

 鳥はともかく首吊り桜って全然関係ないだろうとか、色々ツッコみたい所はあるが。

 しかし、白川の謎の叫びはともかくとしても。

 宙に舞い上がった生徒会長はそのまま踵を叩きつけるように危険な急降下、解りやすく言い

換えると跳び蹴りを敢行する。無論そのターゲットは直下にたたずむ銀髪の頭部……命中すれば

脳震盪では済まないような一撃である。

 与えられた余りに短い判断時間の末に、思わず目をつぶって手を合わせそうになった副会長を

無能と誹ることは、まあ人類にはできまい。

だがしかし。

「ところで、Youはあかりんとはどんなご関係で?」

「……    へ?」

 黙祷しかけて振り向いた先でには今しも祈りを捧げた気がするのに、その対象と成ったはずの

ニヨニヨと笑う銀髪の少女の姿が在った。

 無論、健在。ノーダメージである。

 ……いや、間近で見て気づいたが、この人物は少女と呼ぶべきなのか。何も考えてないような

その笑顔を見る限り、自分たちと同じかむしろ幼くすら見えるのだが、先ほどの生徒会長の言葉を

反芻するなら、既に20歳を過ぎているらしいし。

 そこまで半ば停止した思考が行き当たると、ようやく白川の意識が現実に戻ってくる。

 振り向いた先、つまり白川の立っていた場所の真後ろに銀髪の人が居るとして……では、会長

の蹴り技はどうなったのか。そこまで思考が追いつこうとした刹那に、悲鳴が響いた。

「っきゃーーーーーっ!?何ですのスライミーですの溶けて流れりゃ皆OHマジ!?」

 悲鳴に引き戻した目線に映ったのは、何故か白い泡と言うか粘液と言うか。ともかくよく泡立った

膨大な量の泡の集合体のような物体にめり込んでじたばたと藻掻く我らが生徒会長。蹴り足から

突っ込んだのか、上半身を突き出してもがいているその様は……さながら溺れかけの遭難者か。

「か、会長ーーっ!?」

「あ、大丈夫。天然素材で人畜無害な猛獣捕食用リビングバブルトラップ”溶解大作戦君”だから」

「どの面下げて人畜無害なんですか、その名前で!?」

 ボケ倒す銀髪に突っ込みを入れた白川が「もー駄目ですのー食われますのー」とか虚ろな声が

聞こえ始めた泡玉に突貫して数分。

 助けに入ったはずの白川までが同じく捕縛(捕食?)されかけ、二人が銀髪のヒトに助けられた

のは、それから更に数分後のことである。

 

*****

 

@とあるアパートの一室。

「……ところで、何で高校生のはずの君は、わざわざウチに来て布団被ってるのかな?」

「精霊よりも邪神よりも、悪鬼羅刹よりも不死者よりも怖いのが近場に来てるんです」

「……何ソレ」

 要領を得ないままガクガクと震える布団玉から、にゅっと突き出されたのは一枚の手紙。

 受け取った魔女がしげしげと文面を流し……末尾の記名でふと眉をしかめる。

「……この地球上にまだ「帝国」なんて臆面もなく名乗ってる国って在ったっけ、しかも何か軍事

国家っぽい臭いがするけど」

 記憶を検索しているのか頭を傾げる魔女に対し、蓮田は完全に沈黙を護る姿勢の様子。

「……ところで、ナチュラルに僕の部屋を集合場所にするの、やめてくれないかな、お隣さんも

蓮田さんも」

 ひょっこりと台所から顔を出したこの部屋本来の主の抗議も全く聞こえた様子はなく。臆面もなく

自前のノートパソコンで検索を始める魔女と、布団玉のまま顔すら出そうとしない蓮田であった。

 彼らはまだ、幸いにして何も知らない。この数時間後に舞い降りる災厄すらも。

 

*****

 

「……とりあえず、凄く不本意な上に嬉しくも何ともないんですけど知り合いの義理として紹介して

おきますの。理不尽の権化こと和沙さんですの」

「相変わらずのツンデレっぷりだねぇ、あかりん。いつもこんな感じ?」

「え、まあ…………そーですね」

「白川っ!!」

 和沙と言うらしいこの異装の少女(仮)は、不機嫌全開で暗雲まで撒き散らしている朱莉の態度

にすら頓着せず、にこにこと白川に会話を向けてくる。空気が読めないヒトなのか、むしろ読んでも

気にしないのか。後者のような気がしてならない。

「と、ところで……何故、この学校に?」

 憤激する朱莉とあしらう和沙では話が進まないと察して、白川が何とか話を建設的に進めようと

話題を振る。ヒートアップしていた朱莉もようやく気炎をはき終えたか、何とか冷静さを取り戻して

和沙に視線を向ける。

「あー、それね。久々にあかりんの顔を見たかったから」

「お茶と菓子持ってさっさと帰りやがりなさいですの!?」

「ま、まあまあ会長!?」

「もうひとつは……」

 ずずーっと、悪びれた様子もなく突き出されたお茶を啜りながら、銀髪の少女は何気なく言った。

「こっちの世界に、メリオラの断片が居るって噂で聞いてね?」

「………………メリ、オラ?」

 その名前が出たとたん、朱莉の動きがびしり、とぎこちなくなった。油の切れたゼンマイ仕掛けの

ように軋みを上げそうな動きで目線を和沙へ向けると……おおよそ白川には信じがたいことだが、

まるで幼子が本気で幽霊や怪物を恐怖するかのような怯えきった様子で、確認するように呟いた。

「……『アレ』、ですの? でも『アレ』は楠さんとや綾崎さんが……」

「そう、滅ぼしたはずなんだよね、完全完璧完膚なきまでに。だから、わたしも半信半疑でこっちへ

来てみたんだけど……」

 そこで言葉を止めて、しげしげと朱莉の顔から足先までを眺める和沙。しかも、眺めるだけでは

なく手際よく頭、肩、踵と手を伸ばして触れる。やや顔を赤らめて居心地悪げにする生徒会長と、

ナニカ不道徳なものを感じて目のやり場に困る副会長を尻目に、ふむ、と和沙は一人納得した

ように頷く。

「あかりん、『焔』がだいぶ弱くなってない?」

「……ええ。実は顕現させるのもギリギリって感じですの」

「やっぱし。変なロックが掛かってるみたいだね」

 

『焔』。

 

 それこそが、片山朱莉を「一般」と隔絶させる”精霊使い”としての能力を端的に表現したものである。

 赤の精霊のなかでも「紅蓮の赤」と呼ばれるそれは、高熱と尋常ならざる火力を帯びた銃器弾薬

と、それを扱う力を朱莉に与え、日常ならざる怪異を退ける強力な力となっていた。無論、そこまで

は同じ”精霊使い”であり、肩を並べた自他共に認めるもっとも近しい者の一人として白川も知って

いることだ。

 だが、「弱っている」?

 最近は精霊絡みの事件もぱたりと静まり、ただ使う機会がないだけなのだと思っていた。事実、

白川の保有する能力――傷を癒したり精神に干渉したりする能力――は、事件が起こる頻度に

比例して使う機会こそ減ったものの、弱体化した覚えはない。

 気付かなかった。そして、伝えられていなかった。

 白川の胸中に少し、鈍い痛みのようなものが走った気がした。

 そんな少年の心中は知らぬ気に銀髪の少女はふむふむ、と少し考え込むそぶりを見せる。その

まま二言三言と朱莉と言葉を交わし、一通り納得したのか大きく頷く。

「じゃ、こっちは少々この辺を探査してみるよ。フィエ……蓮田さんも居るんだよね?」

「ええ。アレのことだから……住宅地区のアパートか何処かに退避してるんでしょうけど」

「アパート?」

「ええ。何でも人外友達が居るとかで。置手紙には『せいかんうちゅうへたびにでます さがさない

でください いあいあはすたぁ』とかふざけた事が書いてありましたけど」

 ちなみに、本当に全部平仮名で書かれた置き手紙が残されていた。

「……相変わらずだねぇ。まあ、別に星間宇宙でも星の裏側でも手間は一緒なんだけどさ」

 苦笑しながら、何か日常離れした単語の混じる会話を平然と交わす朱莉と銀髪であった。

 

 

 ふと、それを何するでも無く傍観していた白川の思考が気付く。

 ……この銀髪の来訪者は間違いなく、朱莉の『一週間』の全容を知っている。

 朱莉が黙して語ろうとせず、蓮田も苦笑と共に逃走し、幾らか事情に通じているであろう”魔女”
すら詳しく知る由も無い何かを、もしかすると引き出せるのではないか。

 無論、初対面の人に自分の能力――精神を読み取り、操り、伝えるテレパシストとして発現した

精霊の力を行使するのは、他者を尊重して生きている白川の倫理観に大きく反する行為である。

 だが、それでも。白川 周という人間が片山朱莉という人の隣に居るために、彼女をこうも変えて

しまった何かを知りたい。その思いに駆られて、白川は静かに自分の「力」を束ね、拠り合わせて

一筋の不可視の「糸」を想起する。

 この「糸」はテレパシストとしての能力の発現そのものでもあり、余人には決して見えない「精神の

指先」でもある。同じ能力を持つ者以外には感知すらされずに相手の精神へと潜り込み、記憶を

読み取ったり改変したりといった超常の技を発揮することができる。

 おおよそ人間相手であれば、「精神のハッキング」すら可能とする意識の先端部が、朗らかに

笑う銀髪の少女の頭に触れた、その瞬間。

 

「……   え?」

 

 おかしい。

 意識の指先が表層思考に触れたはずが、何も伝わってこないなんて。

 人間の雑多な思考の殆どが湧いては消える表層意識の領域に触れれば、例外無くノイズだらけ

の情報の嵐が白川の意識へと流れ込んでくるはずである。

 だが、銀髪の少女の頭に触れた指から送り込まれてきたのは……真っ白な、何処までも不変に

続く平面のイメージの世界。そこらの物品ですら、触れれば残留思念の欠片くらいは流れてくると

いうのに。

『あ、そこはわたしの恒常障壁領域だから、通れないと思うよ?』

「!?」

 呆然としていた所に、突如意識下に割り込んできた声にぎょっとする白川。

 意識の焦点を絞ると、二頭身にデフォルメされた銀髪の物体が、先ほどまで空白だったはずの

イメージの中に立っているのが認識できた。現実で朱莉と談笑する銀髪の人と、イメージ空間で

ふわふわ浮いているちび銀髪を見比べて混乱するテレパスを尻目に、ちびの方が言葉を続ける。

『精神感応の能力者には久しぶりに会うねえ……まあ、何も無い所だけどゆっくりしていってね?』

「……いやあの、本当に何にも無いんですけど」

『そりゃね。本来は不法侵入者を論理迷宮に捕まえて脳を焼き切る類のブラックIC領域なんだし

歓待は出来ないってば』

さらりと恐ろしい事をのたまうちび銀髪に、背筋が凍るような感覚を味わう白川であった。

精神感応能力者は、自分の精神の内部にそういった対侵入者の「罠」を仕込んでおくことも可能

ではあるが……意識に多大な負荷がかかるため、恒常的に維持したりすることは、まず無い。

「……寛大なご配慮、感謝します」

『いえいえ。まあ、キミが何が知りたいのかは大体予測は付くけど。本人が語るまで待ってあげる

のも漢気ってもんだよ?』

「ぐ」

 さっくりと急所を突かれて(精神内で)うな垂れる白川である。精神侵入して相手に手心つきで

捕まった挙句に説教までされたのでは、それ以外に反応のしようも無い。がっくりと打ちひしがれて

しまった白川を、懐かしいものを見るような生暖かい目で眺めつつ、ちびっこい銀髪の魔法使いは

告げる。

『あかりんの事だから、まあ色々吹っ切って話せるようになるまでには時間はかかるだろうね。

案外、割り切れないところもあるし。でも……』

 白川の視線に背を向けて、銀髪の小さな影は無限遠の白い世界の彼方へ、陽炎のように揺らぎ

ながら歩きつつ、続ける。

『何時かあの子が話したいと思ったときには、君がそばに居るべきだと思うんだよ。尤も、それとて

君が望むなら……だけどね』

「…………はい」

 主が去って緩やかにぼやけて行く世界で、白川はただ一言応え、黙礼で異邦人の助言に感謝を

示した。

 

 白川の視点が現実に戻った時には、朱莉と異邦人の歓談もおおむね終わっていたようである。

銀髪の少女はひょいっと、何処からともなく身の丈ほどもある棒状の物体を取り出す。艶すらない

黒色の杖に見えるそれは明らかに懐などに仕舞い込めるようなサイズではないはずだが、もはや

何処に驚いていいのか。

「じゃ、ちょっくら行ってくるんで。また明日ー」

「一昨日来やがれっていうかもう来るなですの」

「やだなぁ、ツンデレなんだから♪」

「ヒトをツンデレツンデレ言うなですの、このヴォケまおー!?」

 喚く生徒会長とイイ笑顔で手を振る異邦人、そして直前の白昼夢のような世界とのギャップに

呆然とする副会長という構図である。おもむろに何もないはずの空間を杖尻でノックした和沙の

目の前に、空間に誰かがラクガキしたような、いびつな円が浮かび上がる。

「よっと」

 ぱっかん、と酷く間の抜けた音とともに、杖で小突かれた「円」がすっぽぬける。虚空に文字通り

「穴を開けた」銀髪の異邦人は呆然とする二人に笑顔で手など振って見せると、そのまま開いた穴

の縁を掴んで広げ、その中へと潜り込んでしまった。

「じゃ、まったねー♪」

 ばたむ。

 あまつさえ、一瞬の後にはドアが閉じるような効果音とともに「穴」は只の何もない空間に戻って

しまっている。後に残ったのは、ご機嫌急降下状態の朱莉と呆然としたままの白川。諸々の理解を

超える非日常を目の当たりにして、白川が聞けたのはただひとつ。

「……今日はもう、帰りましょうか?」

「……頭痛いから、わたしは保健室で寝てますの」

 頭痛をこらえるように頭を抑えた朱莉。

 時刻は既に始業間際、今から保健室で休めば昼過ぎからは朱莉も復帰できるだろう……などと

白川が考えていると、その時。

 コンコンコン、と硬質なノック音が生徒会室に響く。何のことは無い、誰かが生徒会室のドアを

叩いて来訪を告げているだけのことだ。だが、この始業間際の時間にいったい誰だろう……と、

首を傾げつつ扉に手を掛けようとした白川の目の前で、しかし扉は無造作にオープン。

「保健室行くのはいいけど、若いうちはエロはほどほどにねっ!?」

「…………」

「…………」

「……では、ばいちゃっ!」

 がらがらがら、ぱたむ。

「…………白川」

「…………はい」

「やっぱ帰って寝ますの」

「解りました」

 わざわざ何しに来たんだ、アレは。

 酷く成った頭痛に朱莉が頭を抱え、白川があの銀髪の人となりについて苦慮する沈黙の中、

その共通の声なき声だけが、閉じたドアに投げかけられていた。

 

 

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