一日目B:乱入者は突然に

 

 

 

……所変わって、再びとあるアパート。ようやく布団玉を解除した黄色尽くめの生徒会役員が、部屋に置いてあった渋くて古くて不味いお茶を啜りながら口を開いた。

「まぁ、「そいつ」がどんだけ出鱈目か…………聞きたい?」

 蓮田は溜息をつきながら魔女と部屋の主たる少女を見た。

 この部屋の主は色々と複雑な事情を抱えており、その名前に関しても一筋縄ではいかない諸々の

経緯があるのだが……ひとまず、本人が一番納得するであろう「彼方」という呼称をここでは採用して

おく。

「あたしは話したくないものを無理に聞くほど悪趣味じゃないんでパス」

「僕は面倒ごと好きなタイプじゃないんで遠慮」

「即答で二人とも拒絶しやがった!? ここは聞いとこうよ今後の為にも!?」

 学習意欲皆無と言うより、単純に「蓮田の言う事だし聞き流していいよね」という共通認識であしらう

二人に、ちゃぶ台をばしばし叩いて抗議する蓮田であった。

 子供か、お前は。

「ともかく! 遡ることおよそ何万年か前」

「…………いきなり、スケールのでかい話だな」

「電波掛かって来たわね」

 とりあえず当然の突っ込みは差しつつ、大人しく聞く(あるいは聞き流す)姿勢になってちゃぶ台を

囲んだ彼方と魔女である。

「ちょっとしたきっかけから、あちこちの世界で同時多発的に『神格存在』……まあ神様同士が内輪

揉めを始めたのです」

 何処から取り出したか、チェス盤をちゃぶ台に置き、白と黒の駒を配置も考えずただ左右に分けて

無造作に並べる。配置も法則性も無く雑然と白黒の入り混じった盤面は、確かに内輪もめというか

混沌とした状態を示しているように見えなくも無い。

「有名どころだと……この世界で言う所のラグナロクとか末法状態を思い浮かべてちょーだいな。

そんな感じであちこちの世界が極限の内乱状態に陥ったわけ。えらいこっちゃなのよ」

 白と黒の駒をぐしゃぐしゃ、と蓮田はかき混ぜる。混沌としていた盤面にはところ構わず倒れた駒が

折り重なって、もはやゲームの盤面とは言えない状態になる。

「で。まあ…………内乱やってるとこってのは人間でも神さまでも大概そーなんだけど。大体、外敵

への備えが手薄になるわけよ」

 どん、とチェス盤の横に置かれるは、正月とかに映画館で暴れていそうな怪獣の模型。チェス盤の

上に置くには余りにも不似合いなそれが、倒れたコマを睥睨するかのように蓮田の手に持ち上げ

られる。

「……神様に、外敵?」

 彼方は首をかしげる。

「上には上が、神さまにも天敵じみたモノがいるってこと。で……この外敵が混乱に乗じてあちこちの

世界を荒らしまわったわけ」

 チェス駒はざらっと薙ぎ払われて蹴散らされ、代わりに盤上に悠然と立つ怪獣。

「ところが。この怪獣さんは別に領土欲みたいなものはないわけで、好き勝手に食い荒らした世界を

放り出して、またどっかを荒らしに行っちゃうわけだ」

 チェス盤上で急に駆動音を立てて怪獣のフィギュアが動き出し、魔女と彼方がびくっとする。盤に

引っ掛かっていて残っていた幾つかの駒をさらに蹴散らしつつ、怪獣は妙にリアルな動きで歩いて

盤の外へ退場。

 後には、ほぼ完全に空白となったチェス盤だけが残された。

「後先考えない家畜の放牧痕みたいだね。砂漠化しちゃうよ?」

「ペンペン草も残らないって意味では、そんなものかもね。そんなこんなで、ぽっかり空いた世界が

一丁上がり」

 蓮田は魔女の出した妙に人間じみた例えに笑い、続ける。

「で、ここで登場するのがボクら邪神と呼ばれる連中。まぁ、元はいっぱしの神様だったけどちょっと

内乱で負けて追い出されました、とか、元居た世界が居心地悪くてフリーエージェントしてきたとか」

「あんたは?」

「それは第一級秘匿情報です。どっちにしても、自分達の領土が欲しい連中なわけよ」

 彼方の質問をサラッと流した蓮田であるが、目線があらぬ方向を向いていたあたり、あまり誇れる

ような立場ではなかったようだ。ともかくもその手でチェス盤の外に並べられるは、将棋やオセロの駒

――それどころか、電池や消しゴム、接着剤など、統一性の無い小物の群れ。

「意外と、「神」って付く割に俗なんだね」

「俗というか…………諸々の理由で無いと困る身分なんだよね、大抵の場合は」

 彼方の辛らつな言葉を軽く流し、蓮田は無秩序に小物類をチェス盤に並べていく。

「で、こんな感じで空いた世界を分捕ろう、って方針の連中が結構な数いるわけさ」

「……やたら荒唐無稽って言うか、実感の「じ」も湧かないような話だね」

 不揃いな小物がそこらじゅうにばら撒かれて、すっかりボードゲームから珍妙なオブジェへと化した

チェス盤を見て、微妙に顔をしかめる彼方である。

「はーい、蓮田先生。『まず』ってことは、他にもいるわけ?」

 彼方を尻目に、やや興味深げに蓮田の話に耳を傾けていた"魔女"は右手を軽く挙げる。いい年

こいて、すっかり小中学生と教師のなりである。

「ん、良い質問。次に挙げる連中が…………」

 よ、と蓮田が軽く右手を振ると、ちゃぶ台からオブジェやら何やらが一切消失。

 ぱちんと指を鳴らした瞬間、今度は白い駒だけが整然と並べられたチェス盤がちゃぶ台に出現していた。

「まあ、中にはこういう風に内乱を乗り切って、反体制派を追い出すなり何なりしてまとまった世界が

あるわけ。そこに……」

 蓮田がもう一度指を軽く鳴らすと、チェス盤の外に白い駒の三分の一ほどの量の黒い駒と、例に

よって全く統一性の無い小物の群れが出現する。数だけを比較するならば、黒駒と小物の合計は、

白い駒のおよそ2,3倍くらいだろうか。

「追い出したはずの反体制派が他所で追い出された同類の奴らと組んで、お礼参りに帰ってきちゃう

ってケースもよくあることで」

 盤外から浮き上がった黒駒・小物の連合軍が盤面に並ぶ白駒に殺到。瞬く間に白駒は蹴散らされ

――黒い駒と小物が乱雑に立ち並んでチェス盤を占有する。

「ソロモンよ、私は帰ってきた…………と」

「はいはいコンペイトウ。まあ、領土を得たこの黒い駒連中は、今度は味方してくれた別の反体制派

の逆襲を手伝うわけだ。相互扶助的な復讐だね」

 魔女の発言をいなし、蓮田は溜息をつく。

「そんなこんなで最近一通り終わって。おおむね世界が静かになった辺りで、今度は神様的なモノの

守護が薄い世界が両者の視野に入ってきたんだね」

「最近まで続いてたんだ……」

「ああ、こいつらの時間感覚はおかしいから、言葉通り真に受けないほうがいいと思う」

 唖然とする彼方をさりげなく軌道修正しつつ、"魔女"はじ、と蓮田を見つめる。

「で、その守護が薄い世界ってーのは……例えばこの世界みたいな?」

「いぐざくとりぃ」

 蓮田はあっさりと頷く。

「しかも、この世界には色々とそういう幾つかの派閥の利害に絡みかねない人が居たり、厄介ごとが

元から多かったわけ。で……その緊張関係の発露が、三年前」

 三年前。

 そのキーワードで想起される事件は、彼方にも魔女にも一つしか無い。

"廃都事件"? 一気に僕らに関係することになってきたね」

「あたしらに関係しなきゃいつもの与太話で済むけど……よりによって接点がそれってのは、穏やか

じゃないわね」

 一気に引き締まった場の空気を意に介さず――或いは単に気付いていないだけかもしれないが、

平然と蓮田は続ける。

「まあ慌てない。まずこの世界は前述のどの勢力にも属してないから、中立地帯ってことで別陣営

同士の利害調整とかをやり易いわけよ」

 緩衝地帯や非武装区域だね、と言いつつ。ごと、と机に置かれるは、先程の妙にリアルに歩く怪獣。

「当時……といっても、だいぶ前だけど。いい加減コイツが暴れまくるんで迷惑になってきたし、少し

頭冷やしてもらおうってことで、あちこちの派閥が共同作戦やったわけ。此処からだいぶ遠くでね」

 盤面の中央に鎮座する怪獣を包囲するように小物の群れが出現。黒いチェス駒も混ざったかなり

の数が、ぐるっと物量で怪獣を包囲する。ふと、怪獣映画でヤラレ役になっている人類の特殊部隊

などを思い出しつつ、彼方が話の先を促す。

「……その結果は?」

「しっかり取り逃がした挙句、この星に怪獣の断片が一つ降ってきました」

 問いかけにえっへん、と答える蓮田。その姿は――どこまでも、無能だった。

「……その怪獣の欠片を切っ掛けに色々あった末、"廃都事件"他、三年前の同時多発混乱が起きた

って流れだったのね。よーやく納得がいったわ」

 魔女は頭を抱えて溜息をつき。

「…………」

 彼方は何事か考え込むのみ。――掻き乱された記憶の湖底で、何かが意識の釣り針に掛かりそうで掛からない……そんなもどかしい焦燥を覚えていた。

「で、此処までが前提。むしろAボタンで飛ばせるプロローグでこっからが本題だから。今までのは

ちょっと心の奥に放り込む感じでヨロシク」

「「それにしちゃ随分長かったよね!?」」

 ――そんなシリアスぶち壊しの暴露をしつつ、蓮田は笑う。

「で、最近。よーやくあの厄介なメリ公とゆー怪獣がお亡くなりになった所で、入れ替わるように出て

きたのが……さっきの手紙の送り主。本題って言うか、ようやく話の中心になる奴なんだけど。

これが、ヤヴァい」

 ごとり。

 いつの間にかまた一掃されて何も無くなったちゃぶ台の上に持ち出されるは……先ほどの怪獣より

二周り程大きく、やたら凶暴そうな面構えに巨大な翼まで背負った見るからにヤバそうな怪獣模型。

 いきなり出現した大怪獣(模型)に絶句する彼方と"魔女"を他所に、説明は続く。

「こいつがひょっこり湧いて、真っ先に反応したのがさっきの反体制派の連合、“龍血連盟”。何か

諍いが有ったみたいでね……」

 怪獣の程近くに忽然と出現するは、先ほど白い駒の陣営を蹴散らした黒いチェス駒と小物の群れ。

その数で盤面を覆うほどの一群が怪獣を取り巻いて空中をぐるぐると旋回する。……最早、ものが

飛んだり跳ねたりする程度の怪異では彼方達も驚かなくなっていたが――その次に起きたことは、

流石に二人を驚愕させた。

 大怪獣の模型の背の翼が妙に生物じみた羽ばたきを起こすと、小さなつむじ風を巻き起こしながら

ちゃぶ台を蹴って、空中へとその巨体を浮かせたのだ。

「と、飛んだ!?」

「あ、そこ避けた方がいいよ」

 彼方の驚愕を更に倍加させるためかのごとく。怪獣の模型はその顎を開き、有ろうことか落雷の

ような轟音とともに怪光線を放射。とっさに身を屈めた彼方の真上を通り過ぎた怪光線は瞬く間に

黒駒と小物の一群へ殺到すると、巻き込んだそれらを片っ端から弾き飛ばし、叩き落とす。

「……と、こんな具合に。たった一人の人間に、全戦無敗を誇った“龍血連盟”の主力なお偉方が

蹴散らされちゃいまして」

「……で、出鱈目な!?」

 彼方は二重の意味で冷や汗を浮かべてのけぞり。

「……それ、マジで人間? 何かの間違いだと思いたいんだけど。切実に」

 魔女は完全に呆れた表情で、顔を引きつらせていた。

「こんなビックリ人間が湧いちゃって、陣営同士が右往左往してる最中。この当人はそんな微妙な

立場だってことを全く無視して、そこらの世界を好き勝手に遊び歩いてるわけ」

 やれやれ、と首を振る蓮田である。恐る恐る魔女が挙手して質問しようとするのを、無言で指名して

発言を求める。

「で、何ですか。その仰天生命体が、ここに遊びに来ると」

「……いえす、そゆこと」

 魔女は嘆息し、蓮田も盛大に溜息を吐いてうなだれる。

「アレに絡むとあちこちの派閥が殺気立つから困るんだよねぇ……ウチもそうだけど、本人も変に

顔が広いせいでやたら知名度も高いし……」

 過去に何が在ったのやら、中間管理職的な悲哀を滲ませつつ愚痴を零す蓮田であった。

「確かに、アレの場合。怪獣の欠片と違って、"廃都事件"級程度の惨事なら、起きそうになったら

自分で防ぐし。仮に跳ねっ返りなはぐれモノが襲ってきても、余計な被害出る前に叩き返しちゃう

だろうし……まだマシなんだろーか……いやしかし……」

 うんうんと頭を抱えて悩む蓮田はしばし放っておいて、とりあえず情報を吟味していた魔女。

「……聞く限り、人殺しには積極的じゃないっぽいってのが、あたしらにとっての唯一の救いかね?」

「それ、救いって言うほどいい特徴じゃないから。それにしても……「あちこちの派閥」ねえ……」

 魔女に突っ込みつつ、彼方はふぅん、と考え込み。

「まぁね……道理であたしらの上の方も、ここしばらく何かやたらと気を使って動いてるわけだ」

 魔女は話の内容と記憶をすり合わせ、ようやく得心がいった風にうなずいた。

「そりゃ、絡んでるのがボクら"混沌の眷属"を筆頭に、さっきの"龍血連盟""アルス・ゴエティア"

……度し難い連中ばっかだからねえ。そりゃ気も使うか」

 少なくとも彼方にとっては「度し難い」の筆頭にあたる人物が、したり顔で言う。

「特に一番ムカつくのは"禍学の継承者"みたいな人間出身の分際で……」

「……待った」

 と、彼方が蓮田をさえぎる

「……その単語、どっかで聞いた気がするなぁ?」

「…………ア”」

 蓮田の露骨に「ヤッチマッタ」という顔と、彼方の絶対に内心では笑っていない笑顔が一瞬、交錯

して――

 

ドンドンドン。

 

「「「!!?」」」

 絶妙な、正に彼方が蓮田の襟首や頭蓋骨に手を伸ばそうとした出足を挫くかのようなタイミングで、

アパートの安普請なドアがノックされた。

 何処かの偉大なる作曲家は、自分の交響曲について「運命はかくのごとく扉を叩く」とのたまった

らしいが。それに倣うならばこれは正に、「絶望はかくのごとく扉を叩く」。いや、叩いているのが絶望

とは限らないがともかく、マトモなものではないことだけは確かだとして。

 ……つい一瞬前まで霧が晴れたように何かを思い出そうとしていた彼方の頭脳は、鳴り響いた

たった三回のノック音によって、そんな事しか思い浮かばないようなパニックに叩きこまれていた。

「け、結界はどーしたの!?このアパートの周りには感知用の魔術が三重に……」

「多分、隙間を抜けてきたんじゃないかな。文字通り」

「破れた金網じゃないのよ!?」

 普段なら錯乱した彼方には側面から鋭いツッコミが飛んで正気に戻るのだが、残念ながら傍にいる

のは、見るからにパニックになった”魔女”と何かを悟ったような蓮田だけであった。突っ込みは期待

できない。

 

 ドンドンドーン。ぴんぽんぴんぽーん。

 

 激しく叩かれてドアを震わせるノック音と、容赦なく(何)鳴り響くチャイムが三人の冷静さを更に

何処か遠くへと押しやる。

「そう、既に我らに逃げ場なし……」

「と、唐突に悟った表情で何を言ってるのかと突っ込むところでしょうけど……何故か今だけは無条件

に頷きそうになったわ」

「そう、我らに濡れ場なし……まあ、都合上ね。あははははぁ♪」

「って、ナニ爽やかに白目剥いてるのよ!? ちょっと!」

 冷静かと思いきや、諦めきって現実逃避の世界に飛び立った蓮田であった。存外、精神的に

打たれ弱いようである。

 よくよく考えれば、そう都合よく件の人物がこのタイミングで来るとも限らない訳で。実際には宅配便

か何かがたまたま、気付かない内に届け物にでも来たのかもしれない……と思ってもおかしくないの

だが。よくよく考えるほどの心理的余裕は、残念な事に三人とも皆無であった。

 更に数回ノックがされ、チャイムが鳴らされて。しかしパニックから脱しきれない三人が硬直したまま

見送って数秒したところで……永劫無限にすら思えた、十秒ほどの沈黙が場に降りる。

 

「あーもう、返事無いけど入るよー?」

 

 外から聞こえた声は別段異質でもおどろおどろしい訳でもなかったが、その意味が浸透した途端、

住人達は一斉に扉から後ずさって離れる。声さえ出れば「待て、入るな」とでも叫びたかっただろう

が、喉まで硬直して呻きすら上げられなくなっていた三人には、それすらも不可能だった。

 そして、ちゃぶ台を挟んで扉を凝視する三人の緊張が極限に達した、その瞬間。

 

「呼ばれて飛び出て、まっおーーーん!!」

 

 跳ね上がるちゃぶ台、その下の畳に開いた闇色の鏡面から飛び上がる銀髪と満面の笑顔。ドアを蹴

破って入ってくるのだと予測して無意識に心理的備えを構築していた三人は、横合いからその構えを

粉砕されて……

「でたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「うひゃぁぶばッ!?」

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」

 身も世も無く響く、トリオ・DE・絶叫。宙を舞ったちゃぶ台は重力の支配下に戻って急降下、不幸にも

真下に居た蓮田の頭蓋にめり込んでクリティカルヒット。白目を向いて仰け反る黄色尽くめの横では、

立っていた角度が悪かったのか飛び出した銀髪ヘッドによるロケット頭突きに顎を強打され、脳震盪

でゆっくりと倒れてゆく”魔女”。

 そして……

「……ああ、僕もお前のところに逝くよ……」

 

 ……心臓発作的な何かで、忘却の縁に沈んだはずの記憶を走馬灯として見ながら、安らかに永眠

しそうになる彼方。きっと河の向こうの花畑で、誰かが手招きしているのだろう。

 

「って、死んじゃ駄目だぁぁぁぁっ!? まだ本編終わってないんだよ!?」

「メタ噴いてないで早く助けろこのボケまおー!!?」

 昇天の兆しに気付いて慌てる和沙に、ぐるんと白目状態から復帰して吼える蓮田。そして施される

神の手の如き緊急処置。

 某一子相伝の暗殺拳もかくやの速度で乱舞する救いの手によって、辛うじて、話の主題を背負う

べき人物は命を取り留めたらしい。

 

……それにしてもこの銀髪、出てくるだけで救いようが無いほどグダグダである。

 

 改めて、紹介をしておくべきだろう。

 和沙=S=アルトヴァーペン。

 朱莉の「失われた一週間」に深く関わる存在にして、世界を揺るがすトラブルメイカー。

 その異名は”スキップする混沌””遥かなる魔王”。そして通称は、まおー。その由来は……知られて

いない。何となくって筋が濃厚。

 追記:能天気。

 

 

 僕が眼を覚ましたとき、全てが幻であってくれればと願った事は何度かある。

「お、眼が覚めたかな?」

 例えば、「あの時」の赤染めの悪夢を見せ付けられて目覚めた朝とか。そんな朝にふと鏡を見て

しまった時とか。或いはあの埒外、規格外と関わらざるを得ない事態になった日とか。

 ……或いは、目覚めたくないほど幸せな夢を見てしまったときとか。

「とりあえず夕飯は出来てるから、顔だけ洗ってきたら?結構酷い顔してるよ?」

「呼吸どころか心臓まで止まって、瞳孔開いてたからね、君。よくよく凄いしぶとさだよ」

 ……でも、ここまで切実かつ自覚的にそれを願ったのは、今日が初めてかもしれない。

 見慣れた僕のパーソナルスペース(であるはず)のアパートの一室に、人影が三つ。見慣れた赤毛

の魔女と蓮田さんはともかくとして……流しとコンロしかない上に住人は殆ど使いもしないはずの台所

で、鮮やかな包丁捌きを披露している銀髪さんは、一体、何なのだろう。変に軋みを上げる身体を

引き摺るように起こすと……さして広くも無い部屋の真ん中では、ちゃぶ台にかつてないほど行儀良く

座って箸を握った赤いのと黄色いの。

「……何、してるのかな?」

「「夕食待ち」」

 ずきずきと脳に刺さるような頭痛をこらえて二人に聞くと、異口同音に返答された。

 頭痛が更に酷く、末期的になった気がした。

「まだ調子悪いなら、寝ててもいいけど?」

「君の分はその間にあたしがきっちり頂くから、安心して休んでいてくれていいとも」

「待った、ボクも食べる。むしろ殺してでも奪い取る」

「……むしろ意地でも起きて食べるから」

 ぎゃいぎゃいと騒ぎ出す赤と黄色に溜息を吐きつつ、味噌汁と思しき鍋――記憶と台所の隅っこで

蜘蛛の巣を被ってた覚えがある物体の一つだろうか――を運んでくる銀髪の少女へと視線を向けて

みる。さして大きいわけでもないちゃぶ台に手際よく並べられているのは、キノコ類を炊き込んだご飯と

青菜の味噌汁、それに……生姜か何かで漬け込んだ豚肉を焼いたものだろうか。香ばしい香りが

妙に空腹をそそる。

 そう言えばこんな素直に身体が食欲を訴えるのは、この身体になってから初めてかもしれない。

まあ、それで頭痛も忘れていそいそとちゃぶ台に着いてしまう自分の現金さに少々呆れつつも。

「お待たせ。それじゃ、夕食にしようか。」

 エプロンを外した銀髪少女の声とともに、餓えた赤と黄色が大皿に盛られた肉を強襲。奪い去る

ように下に敷かれたキャベツごと強奪し、猛烈に貪る。その隙間を縫ってとりあえず自分の分を確保

し、何となく恐る恐る食べてみる。

「……美味い」

 思わず呟いた。

 そして、自分でそれに気づいて酷く驚いた。まだ自分には、こういう感性が残っていたのだろうかと。

磨耗しつくして惰性で、この身体の呪縛を背負って生きているだけのつもり……だったのだが。

「お代わりは?」

「……欲しいかも」

 結局、二杯程追加で食べた。

 

 食後。

「くっ……また腕を上げたようだね、まおー。悔しいが満腹になってしまった!!」

「研鑽は怠りませんとも……って、どしたの赤毛の人」

「いや、何か……数年ぶりに人間らしい食事をしたら、猛烈に涙が溢れてきて……」

「……どーいう食生活してたのかな、そこは一体」

 どーいうもこう言うも、朝はカロリーが補給できるブロック状のスナックと珈琲。昼は同じくスナックと

ペットボトルのお茶。夜はサプリメントの錠剤とカップラーメンである。

 流石に見かねた僕がたまにコンビニのサラダあたりを差し入れることもあるが……概ね知る限り、

外食でラーメンとかファストフードに手を出す以外で、この魔女がこの食生活に変化を見せたことは

無い。間違いなくメタボ一直線、下手すればそのまま成人病で急死しそうな生活だった気がする。

「ご飯と味噌汁を作るだけで、だいぶ違うよ?」

「……お米って、洗濯洗剤で洗えばいいんだっけ? 漂白剤は要らないよね?」

「洗うな、この生活無能力者。せめて台所洗剤でやろうよ」

 思わず突っ込む。まあ尤も、僕のほうはそもそも食べなくても平気なので、下手すれば三日四日と

食事を抜いてしまうこともザラなのだが。そのぶん食費は浮くし。

 ふと見ると、呆れ果てたような表情でこちら三人を眺める銀髪の少女が居た。

「なんて言うか、食生活だけならどっかの邪神より非常識だね?」

「……邪神と食生活の常識で競い合った覚えは無いんだけど」

 むしろ、邪神って人類と比べられるような食生活が有るのだろうか。”混沌の眷属”とか名乗ってた

蓮田さんは、専らいつも僕らより良い物を食べてるけど……そういう意味では負けてるんだろうか、

僕らの食生活。

「人でも機械でも好き嫌いせずに食べる邪神ってのが居てね?」

「それはただの悪食だ!? むしろそっちが非常識だろうが!?」

「食べないよりは常識的だと思う」

 きっぱりと断言されてがっくりとうな垂れてしまった。世界は広いらしい。

「……『アレ』は流石に、常識の範囲を逸脱して悪食じゃないかなぁ、とボクは思ったり思わなかったり

するんだけど」

 苦笑しつつ呟くのは蓮田さんである。

「……『アレ』って?」

 こちらがしようとした質問に先んじて、同じことを魔女が聞いていた。

「さっき説明の前振りに出てきた、『神さまの天敵』ってヤツ。好物は世界と星と神さま」

 想像を絶する食習慣もあったものである。って言うか、そんな連中の食事と比べるほど酷いのか、

僕らの極貧生活は。

「ねー、食生活の話はひとまず置いておくとしてさ」

 しーしーと爪楊枝を咥えて眼を逸らしていた魔女が、おもむろに挙手。

「そろそろ、銀髪さんからも自己紹介してくれないかな? 蓮田さんに聞いたのと何か違うって言うか、

むしろあの大怪獣とのギャップが……」

「……大怪獣?」」

 懐から何故か茶菓子など取り出しつつ、銀髪さんが首を傾げる。

 何故か向こうで蓮田さんが滝の汗を流しながらそっぽ向いているが、ともかくもこの不可思議さんの

自己紹介にはこちらも興味があるのでもう一押ししてみる。

「まあ、聞いてた話と食い違うな、ってくらいで。自己紹介してくれると色々助かる」

「そういうことなら。名前は和沙=S=アルトヴァーペン、年齢多分20くらい、種族きっと人間。

あかりんとか蓮田ちゃんとは、割と古い馴染みになるかな」

 随分と曖昧な点の多い自己紹介であった。紹介になってないと思うけど、これ以上聞いても理解

できる答えが返ってくるかは微妙な所か、と自分を納得させてみる。

「……と言うか、ドイツとかのクォーターとか? 名前から察するに」

「んー、そんなところかな。趣味は料理と旅行、それに魔術ってあたり」

 あ、何か魔女の目が光った。

「魔術ってことは……実は、青の精霊使いってこと? それに、あの手紙の“帝国”って……」

「精霊使いじゃあないけど……まあ魔法使いってのは間違いじゃないよん。あと、“帝国”に関しては

 ……とりあえず、この世界じゃないどこかにある国ってことで」

「……異界の魔法使い……  ……これは、戦ルしかッ!」

 何か物騒な燃え方してる”魔女”の向こうで、蓮田さんが冷や汗流して首を横旋回させてるのが

見えるんですけど。360度グルグル回ってるような気がするけど……気のせいだよね、うん。

「今回は久々に近くに来たから、探し物ついでにあかりんの顔とか見てみようと思ってね。……まあ、

探し物は思いがけず見つかったりしたけど」

 何故か苦笑いで、視線がこちらを撫でていったような気がした。

 ……気のせいであってくれるといいな、と思ったり。

 

 

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