一日目C:夜の公園(戦ラナイカ)

 

 

 その日深夜、魔女や彼方の住むアパートから数分の所にある公園。

 夜ともなれば殆ど人気もない住宅地のさなかの小さな空白地帯に、二人程人間の気配があった。

時たま居るちょっとスリルを求めちゃったハレンチなカップルや、ダンボールで夜露を凌ぐ人々、

クソミソでテクニックな予備校生やABEさんでは断じてない。

 赤毛に眼鏡、そして何故か小型のノートパソコンを抱えた白衣の女性と、銀髪の少女。時間的にも

組み合わせ的にも少々、不似合いな二人ではある。

「ちなみに、どちらにも百合とかその手の趣味は無いのでよろしく」

「いや、どっち向いてナニを言ってるのよアナタ」

 端的に言えば、魔女に呼び出された銀髪さんが、のこのこと付いて来たという構図である。

 もし注意力の鋭い人が居たならば、魔女の妙に分厚い白衣の内部には布地の裏表問わず

ポケットが存在し、見るからに如何わしい多数の物品が詰め込まれている事に気付いただろう。

少なくとも、夜の散歩に着込む衣装ではない。

 公園の中央付近まで無言で歩んだところで赤髪の魔女は振り返り、後ろをついて来た銀髪の少女

と正面から対峙する。

「さて、あなたを呼び出したのは他でもないわ」

 その手の中で電子音と、形容し難い異音とともにモニターに光が灯る。起動したコンピューターの

内部でプログラムが疾走を開始し、一つのシステムを臨戦状態にセットする。

『”GRIMOIRE Erectmatica ver2.21 ...CombatMode:Wait Casting”』

 特製のモバイルに封入されているのは、一冊分の『電子化された魔導書(GRIMOIRE Erectmatica)』

 本人の実力以上の魔術行使を可能とする強力なマジックアイテムを紐解き、01の情報に置換する

事でより精密かつ高速の制御を可能とする、魔女にとっても切り札と言える逸品である。

「って、いきなり何か物騒なもの取り出したね?」

「そりゃまぁ、物騒なことを全力希望でお呼びたてした訳だし」

 コレ以上ない程楽しそうな笑顔を浮かべる魔女。敢えて言葉で表すならば「にぱっ」とでも記すべきか。

無邪気かつ全開の笑顔である。知り合いが見たら悪夢と見まごうか、卒倒して数ヶ月は毎夜夢に見て

うなされる事間違いなし。思わず、和沙も一歩退く。

「あー……ワタシ、明日の朝ごはんの仕込みやりたいから帰っていいかなー、とか……」

「だ・めっ♪」

 何かよからぬオーラを垂れ流したまま、魔女が懐のポケットに押し込まれていた紙束――魔術的な

儀式を施した呪符と呼ばれる紙片の束を引っ張り出して扇状に広げ、グリモアへのコマンド入力と共に

魔術を構築。

「圧縮コマンド”遠く見えざる異郷”……キャスト」

Cast onNo one come in,Nothing can through me

 呪符が紙吹雪のように術式の流れに乗り、空高く舞い上がって公園のいたる所へ撒き散らされてゆく。

同時に電子化された魔導書プログラムに圧縮登録した詠唱補助がそれらを触媒に魔術を拡大し、瞬く

間に公園全域に大規模な結界が展開される。知的生物を寄り付かなくする《人払い》、物理・魔法的な

隔離結界の複合による、空間の孤立化。

 術式が完成し公園の内外を完全に隔離したことを確認すると、赤毛の女性は銀髪の少女へ指先を

突きつけて宣言する。

「古人に曰く、百聞は一戦に如かず!」

「言ってない、昔の人言ってないから。そんな迷惑な事」

思わず抗議するが、もちろんハイテンション絶好調の魔女に聞こえているはずも無い。

「さあ、精霊に因らない異界の魔法! 異界の術式! 異界の魔導師! あたしの好奇心の為に!! 

お互い命懸けで見せて教えて刻み付けてプリーィズッ!!」

「ぅわーぃ、聞いちゃいないよ……」

 戦る気満々どころか半ば狂喜……いや、狂気の領域に踏み込んだ魔女に対し、思わず両手を挙げて

笑うしかない和沙だった。

 

「《酸の霧》セット、《徹甲火球》《爆裂衝球》《凍傷》、ディレイキャスト!」

Cast onHeat and pain.Frame melt her armor,Shock crack her eras,Cold eat her hand

「うひゃぁ!?」

 広域に広がる強酸の濃霧、続けざまに起動し、発動待機から強襲する火球、衝撃弾、そして強烈な

凍気。『グリモア』の補助により通常ありえない程の起動速度、そしてバリエーションでの魔法が発動し、

轟音と破壊力を撒き散らし、ちょこまかと逃げ回る和沙の周囲に着弾しては公園の風景を叩き壊して

ゆく。

「さあ、逃げるばっかりじゃどうにもならないわよ!! って言うか逃げるな! 避けるな!」

「逃げたり避けたりしないと大変じゃないの、コレは!?」

Auto casting:Ice shot as like Rain

 人の頭ほどもある氷の礫が割りと物騒な風切音を立てて幾つも飛来するのを、かわしてかわして

かわして飛び越えて更に逃げ回る和沙。

「《肉を……石》ッ!!」

「何とをっ!!」

 魔力によって直接に心身を侵す石化や毒、精神系の魔法まで織り交ぜて飛来するが、物理的には

完全に見えない魔力の波でしかないはずのそうした魔法すら、この銀髪の少女はちょこまかちょこまかと

ひたすらに回避し続ける。

 実際にはその逃げっぷりだけでも既に常識の領域を遠くぶっちぎって居るのだが、当事者の赤髪の

魔術士の額には徐々に、苛立ちの青筋が立ち始める。

「……そっちがその気なら、あたしにも考えがあるのよ?」

「ぅを?」

 何やらソレまでとは一線を画する物騒な気配を感じたのか、和沙が一瞬立ち止まる。その足元に展開

したのは、およそ10mに及ぶ大型の魔法陣。

「げっ!?」

「”絶空”、キャストッ!!」

Cast on:Close and empty

 魔法陣が瞬時に漆黒のドームへと展開し、うっかり逃げそびれた銀髪の少女を内部へ閉じ込める。

Command Act

「さあ内側から……爆ぜなさい!」

 連鎖術式をトリガー。漆黒の結界内部に魔術が発動し、内部に致命的な変動を巻き起こす。それは、

《物質障壁》から《空気破壊》への連繋魔術。

 対象を物理的に完全に隔絶した結界へ閉じ込め、内部の空気を完全に破壊してゼロ気圧の真空状態

に放り込む。

 魔法以外では存在し得ない「完全な」真空に放り込まれた生物は、体液の沸騰と内外の気圧差による

身体破裂で間違いなく、致命的かつ無残極まりなく破壊される。

 魔法自体はそう高位ではないものの組み合わせであるが、その殺傷力の高さから特別に禁じ手扱い

される攻撃手段……そんなものを躊躇い無く使って見せたあたり、この赤毛の魔法使いはちょっと、人と

しては駄目な所へキレてると思われる。

 恐らくは無残な血溜まりと化しているであろう結界の内部を未だ興奮気味の視線で睨んでいた魔女

であるが、ふと我に返る。

「……しまった、真剣に魔術を見せてもらうだけの積もりが……殺り過ぎた!?」

 殺り過ぎの前に、我に返るのが遅過ぎる点に気付くべきだろう。

「あっちゃぁ……どーしよう、証拠隠滅して「もう帰っちゃったよ」とか……」

「無理だってば」

「……やっぱ、無理?」

「うん」

 ……ちょっと待て。誰と話しているのだ。と魔女は思い至り、は、と硬直する。

 背後で響く声音は、ついさっき自分がひき肉にしたはずの銀髪の異邦人。

「……って、アルトヴァーペン!?」

「やあ、何か無茶苦茶やられた上に亡き者にされそうに成ったアルトヴァーペンだよ♪」

 にこにこと笑う銀髪の異邦人の声は、いっそ朗らかと言っても良いくらい明るい。しかし、それが自分の

真後ろ、完全な死角から密着状態で聞こえてくるとなると……それはちょっとどころではなく恐怖である。

思わず両手を挙げて降参の意を示してみるが……まあ、流石に遅過ぎるのは承知の上。

「せ、せめて最期に一つだけ冥土の土産とかを!」

「いや、別に冥土に送る積もりはないんだけどさ。何が聞きたいのかな?」

「何がどうなって、あの魔法から生き延びたの!? それだけは教えて!」

 この期に及んで聞くことが魔術絡みの疑問という辺り、この魔女も相当筋金入りの変わり者であるが。

「いやまあ、大したことはやってないんだけどね」

 こほん、と咳払いして和沙は一言告げる。

「『××××』、五体倒地」

「はいっ!」

 和沙の言葉を聞くとやおら、五体を地面に投げ出して何かを礼讃する魔女。白衣が泥まみれになった

ところでふと我に返り、現状を把握して愕然とする。

「せ……精神操作の魔術!?」

「いやまさか。そんな大した物は使ってないよ…… 『××××』、起立」

「はいっ!!」

 五体で地に伏せていた魔女の身体がばね仕掛けの人形のように不自然な動きで跳ね上がり、即座に

一部の隙も無い「気を付け」の姿勢で直立する。そして、立ち上がった状態でやはり愕然と、自分が耳に

した「その単語」……『××××』を思い出す。

「……何で、それを?」

「まあ、ワタシにはその呪いは、効果を発揮してないみたいでね」

 その単語は、この世界においては「存在しない」……或いは「意味を持たない」言葉である。

 言葉としては、いろはの並びで表現できる日本語の一単語でしかなく、或いは何処かでは普通に意味

を持つのかもしれない。

 だがこの単語は、如何なる経路と手段を以ってしても、魔女と結びつく事だけは決して無い。

 何故ならば、それは魔女が魔術の探求の代償として喪った、彼女自身の「名前」であるが故に。

 魔女の本来持っていた名前であるところのこの単語は、仮に魔女に親しい誰か……親兄弟であれ

彼方であれ、この世界の誰かが目にしたとしても、彼女の名前として認識される事は無い。例え魔女

本人がこの名前を名乗ったとしても、それはただの音の羅列として聞こえ、その言葉が持つはずの意味

を一欠けらも伝える事はできなくなる。

 『非認識の呪い』……魔女の師匠である魔術師は、この現象をそう呼んだ。

「種を明かせば、この世界が帯びた「呪い」の強制力程度じゃ、ワタシには意味が無いってことだけどね」

 和沙が語るには。

 元々、魔術師に限らず「名前」には力が有る。名付ける事は支配の手段でもあり、また名前によって

定義する事で、物ごとは理由や意義を持つ。こと、意志力で世界の法則に干渉を行う魔術師は、その

最も根源的な部分……自我の根底に、自身の「名前」を焼き付けてあるのだと。

「君の場合、自分に魔女って認識を被せる事で自我の殻を作ってるんだけどね。逆に君の名前は現実

から切り離されたお陰で、魔術名……「真名」に近いくらい、君の本質そのものと直結しちゃってるん

だよ」

「…………あたしの、「名前」か……」

 酷く感慨深げに呟く魔女であった。

「で、まあ。さっきのヤバげな魔法もね。その名前を触媒にして命じれば、完全に無効化できるんだよね」

「……ああ、なるほど。あたしの名前を以って術式自体に命じて、稼動を停止させたってことね?」

「ご名答」

 ぱちぱち、と手を叩く銀髪の異邦人に、魔女は天を仰いで両手を挙げた。戦うどころの話ではない。

もしこの異邦人が一言、彼女の名前に於いて「死ね」と命じたならば、魔女は自分が自殺したことすらも

気付かずに絶命するだろう。

「あー、やっぱ凄いわ。大怪獣は伊達じゃないってことね、やっぱり」

「……ちょっと気になってたんだけど、その「大怪獣」ってナニ?」

 怪訝そうな顔をする和沙に、簡略に纏めた蓮田の解説を伝える魔女。伝えるごとに微妙に空気の温度

が下がってるのは、果たして魔女の気のせいなのか。

「ほほう、なるほどなるほど ……教えてくれて有難う」

「お、怒ってる? 何か凄い怒ってる気が!?」

「いやいや、怒っては居ないよ、もっちろん♪ ふふふ」

 と、笑顔のまま何かを溜め込んでいる状態の和沙の肩越しに、ひょっこりと湧く影があった。

 ぎょっとした魔女が視線を向けると、夜目にも目立つ黄色尽くめの制服の人影が、公園の入り口辺りで

ぶんぶんと手を振っていた。

「やぁ、まだ生きてるかい魔女?」

 言うまでも無い、蓮田である。

 声を聞いた和沙の顔がにこーっ、と刻んだ深い笑みの迫力は、無論背中側に居た蓮田には解るまい

が、魔女の心胆を凍りつかせるには十分すぎた。魔女は思わず「逃げてーっ!?」とでも叫びたい心境

に陥ったものの。心中の妙に冷静な部分が「いや、ここは何も言うな」と保身を優先させた為、表面上は

強張った笑顔で何も知らない黄色尽くめの犠牲者(予定)に手を振り返すだけだった。

「いやはや、驚いたよー。二人連れ立ってどっか行くと思ったら、魔女は戦闘白衣にグリモアまで持ち

 出してフル装備だしさぁ……来てみれば案の定、隔離結界とか」

「いや、まあ……何というかね、うん。まあ、何だろう」

「……どーしたのさ、一体?」

 かくかくと頷いたり目線を泳がせたりする魔女に流石に不思議に思ったのか、首を傾げた蓮田がすた

すたと近付いてくる。

「ねぇ蓮田クン?」

「おう、まおーも黙っちゃって変な………」

 何と続けようとしたのかは知らないが、和沙がゆっくりと首を向けた途端。メデューサの首でも突きつけ

られたように蓮田の表情が硬直する。魔女の側からは見えなくなった銀髪の異邦人の表情が如何なる

ものなのか……魔女は考えるのをやめてそっぽを向き、これから起こるであろう惨劇に備えてこっそり

魔術を用意する。

「ねぇねぇ蓮田クン。大怪獣って何かなぁ?」

「ちょ、ま、落ち着けまおー!? って言うか、裏切ったな魔女っ……」

「な に か な ?」

 空間に何かの質量を持つ物体が呼び出され、構えられた音。

 じゃこん、とその物体から金属質の機構が稼動した音。

 周囲の精霊が悲鳴を上げて退避して行く世界のさざめきと、必死の説得(言い訳ともいう)を行う蓮田

の悲壮な声。それに、「霊圧」とでも言うのか。形の無い世界の圧力が、間近の存在から漏れ出して巨大

化してゆく未知の感覚。

 そして、銀髪の来訪者……「まおー」の、さざめくような含み笑い。

「グリモア、《沈黙障壁》《闇》《避難所》キャスト」

Cast:Mizaru Iwazaru Kikazaru

 魔術で形成した外部からの音を通さず、光を通さず、ちょっとした破片なら防ぐ魔法的シェルターの

内部で耳を塞いで、魔女は完全に知らんフリを決め込む。

「ちょ……杖……“ベーゼガイスト”でボコボコですか!?」

「NO,NO,NO」

「ぞ、増幅付きの魔術フルボッコですか……!?」

「Nein.Nein,Nein」

「も、もしかして…………両方DEATHかぁぁぁっ!?」

「えれす・これくーと(大 正 解)!!」

「ぃ……ぃやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 轟音と閃光と悲鳴。

 賢明にも向こうを向いていた魔女は、幸か不幸か知る由も無かったが。

 今正に、数多の異界を震撼させた魔人「遥かなる魔王」の片鱗が降臨し、その不条理なまでの破壊力

の一端で以って……不用意な発言をした蓮田をボッコボコにしていたのだった。

 

 数十秒後。避難所から這い出してきた魔女が見たのは……半径1mほどの範囲が深い凹凸だらけの

擂鉢状に抉り取られて、そのど真ん中に全身黒コゲのアフロ頭、額に「痔」と落書きされた無残なヒトガタ

の物体が直立している光景だった。

「……おーい、蓮田君?」

「………………」

 返事が無い、ただの黄色い粗大ごみのようだ。

 溜息を一つ吐くと、魔女は黄色い微妙なオブジェと化した蓮田を放置して、アパートへの帰路を辿るの

だった。

 

 

翌朝。

「…………お、おはよう?」

「………………オハヨウ」

 …………目を覚ましてちょっと外の空気でも吸おうかと扉を開けた彼方は、爆発したようなアフロ頭に

全身黒コゲだらけの蓮田さんとばったりと遭遇することとなった。

「……雷にでも打たれたのかな?」

「……やっぱりそう見えるのかな、この状態」

 実際、そんな惨状である。雷に打たれて普通に生きてるというのも在りえないのだが、まあ蓮田なら

何となく大丈夫そうでは在ったし。ギャグ的な意味で。

「おはよー……あ、生きてたんだ蓮田ちゃん。良かった、良かった」

「良くないってば!?」

 隣の扉が開いて、こちらはこちらで眠そうな魔女が顔を出し、蓮田の顔を見つけて何か物騒な事を

のたまっている。一体何が在ったのかを思わず聞こうとして、蓮田へ視線を向けた彼方は、さっきまで

気付かなかった「ソレ」に気づいてしまった。

 「痔」。額にしっかり記された、毛筆っぽい一文字。

 ……とりあえず、笑うのは失礼だ。蓮田の怒鳴り声をにやにや笑いながら受け流す魔女に目線を送る

と、魔女側も委細承知の意をアイコンタクトで伝えてくる。

 かくて、彼方は二人を放っておいて部屋に戻る事に決めた。

 昨日の夜に在った愉快な何かについては、後で魔女が手ずからに語ってくれる事だろうから。

 

 

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