ラザフォード・レポート 第一綴

 

序文 ―妖精郷への導入―

 

私の名前はラザフォード=アイアン。ダーレスブルクでしがない古本屋に住まう者だ。

暇を見ては冒険者としてパーティに同行しているが、まあ趣味のようなものだ。

……そのはずだったのだが。

 

「妖精郷?」

商売上の知り合いから仕入れた古書の中にその単語を見つけて、ふと手に取ったのが運のツキだった。

ぱらぱらと頁を繰るうちに内容に引きこまれ……

 

気がつけば、正誤も判然としないその記述に従って、ある遺跡まで単独足を伸ばしている自分が居たのだ。

明らかに先人が発掘し尽くしたと思しき浅い遺跡の奥底、幻覚魔法に隠された扉の奥の魔法陣に足を踏み入れ……

 

薄桃色の靄を抜けると、そこは猫だった。

訂正。

湖と猫のある風景だった。

 

「ようこそ、<天の及ぶところその悉くに並ぶもの無き叡智と、地上のありとあらゆる財宝に以てしても

代え難い美貌とを兼ね備えた偉大なる魔術師、全ての妖精たちにとっての妹にして姉、娘にして母、

友にして恋人たる空前絶後の天才妖精使い、神々に愛されし者、“妖精女王”アラマユ・ハメスガダラス様が、

この世に生み出した至宝、荘厳にして優美なる妖精たちのための永遠の楽園……妖精郷>へ!」

 

さらに訂正。

凄く滑舌のいい二足歩行の猫の居る光景だった。

 

直立歩行する猫(ケットシーと呼ばれる古妖精、らしい)はグラタンと名乗り、私を湖上に出現した宿へ誘って

この妖精郷の概略を語ってくれた。

……鍵のような物を湖に投げ込んだ直後に鐘の音とともに宿が出現したのは、それはそれで度肝を抜かれる

光景だったと注釈しておくが。

本来この宿には他にも複数のケットシーが、それぞれに施設を管理していたらしい。

ただ、現在はグラタン以外は何処かへ去り、施設も湖に封印されているようだが。

 

重要な情報は二つ。

この妖精郷から出るには、そうした施設の一つである転移の魔法陣を使えるようにする必要が有る、と言うこと。

現在この妖精郷を維持する魔力が弱っており、蛮族や魔神が紛れ込んでいる、と言うこと。

これを頭に叩き込み、この宿を拠点として私は探索を始めることにした。

手始めに、グラタンの仲間を探すことから始めようと思う。

 

第一章                         ペンネを探せ

 

手始めに、施療院を管理していたペンネというケットシーを探すことにする。

グラタンによれば彼(男性らしい)は【薬草園】と呼ばれる場所によく出没するらしいが……

「ところで、その【薬草園】へはどうやって行けば?」

「あー、南東の方にあるはずだから、適当に歩けば付くと思うんだ」

……前途は多難である。

 

宿を出て往くことしばし、日が陰るころになって何かが流れる音が聞こえた。

最初は水音かと思ったが、近づくにつれてそれが間違いであることが分かった。

【赤い河】と地図には記されている。なるほど、言い得て妙だ。

あの音は、砂音である。陰る日にも赤々と、砂が怒涛の勢いで流れているのだ。

思わず岸辺から見入っていると……視界の端に何かが有る。

箱だ。砂の河からこの岸辺に漂着したらしい。

「……開けてみるしかないだろうな」

冒険者たるもの、目前の宝箱を開けずに放置するなど赦されない。一通り罠の有無を確認して蓋を外す。

そこに有ったのは…… いや、居たのは。

「おはようございます、マスター」

「……おはよう。今は夜だけどね」

外見およそ15歳程度か。特徴的な服装の子供が、膝を抱えて箱の中に座り込んでいた。

子どもと言うのは正確ではないか。

明らかに生身とは異なる硬質な耳のパーツと言い、メイド服としか称せない服装と言い……ほぼ間違いなく、

彼女はルーンフォークなのだろう。

……妖精郷では箱に入ってルーンフォークが流れてくることも有るらしい。それも銃、マギスフィアのフル装備で。

「ところで、質問しても良いかな。えーと……」

「私の個体名、まだ登録されて居ません、マスター」

「……マスターってのは、私のことなのだよね」

頷かれた。どうやら、そういうこと、らしい。

結局、私は彼女に「リヴィエラ」と名前を付けた。以後、彼女は私の旅の道連れとして長い付き合いになる。

 

リヴィエラを伴い、河畔を捜索する。

こちらは片手に松明をともしての行軍となるが、リヴィエラは暗視が効くので周囲の警戒を頼んでいる。

「……マスター」

言われてこちらも気づいた。砂の河をボートで下ってこちらへ来るのは、レッドキャップと呼ばれる蛮族だ。

即座に松明を足元に置き、レイピアと鎖を取り出して身構える。

戦闘そのものは、あっさりと片付いた。鎖で拘束し、レイピアで突き刺す。

後方からリヴィエラの狙撃が止めを刺す。この繰り返しで、さしたる傷も負わなかった。

 

【赤い河】を離れ、【おもてなし亭】から見て南東の方向へ進む。

途中休憩を挟みながら進む先には、先ほどの砂だらけの光景とは全く別の空間が広がる。

一面の花畑。色とりどりの花の咲き乱れる中を、水路が奥へと流れて往く。

地図で確認すると、どうやら【水路のある花畑】のようだ……

「……何の捻りも無いね」

「捻るまでも無い、と思います」

その通り。水路に沿ってさらに南東へ進むことにした。

 

さらに進むことしばし。水路はいつの間にか小川となり、往く先に屋根つきの橋が見える。

長閑で特に注意すべきことも無いように見えるが……それが油断だった。

トンネル状に屋根の付いた橋を渡って行く最中。薄暗いトンネルの中で、「何か」を思い出したような気がした。

連続性の無い無数の面影が通り過ぎて、最後に心に留まったのは……かつて、若気の至りで肩に刻んだ刺青。

今思い出すと赤面ものであるが。

結局、少々恥ずかしい過去を思い出したのみで実害は無し。

先ほどの幻影は、恐らくこの橋に掛けられた何らかの魔法なのだろう。

【小川と屋根付き橋】を抜けて行くこと数時間、私たちはようやく目的地を見出した。

 

魔法文明語と思しき言語で何かが書かれた鉄の門扉。その入口に立った瞬間、園の中から怒声が響き渡った。

「待てや、この薬草泥棒が!! 逃がさへんで!!」

リヴィエラと二人してそちらを向くと、袋を担いで逃げ回る小柄な亜人……ゴブリンと呼ばれるポピュラーな蛮族と、

その後ろから鉈を振り上げて追いかける二足歩行の猫……ケットシー。

緑の帽子を被った青い毛並みのケットシー……グラタンから聞いた人(?)相通りの彼が、恐らくペンネだろう。

二匹のゴブリンは門扉の方へ逃げてきて、私たちを視認して一瞬躊躇のち武器を構える。

「お、ええ所に! そいつら泥棒や、とっちめてくれや!」

言われるまでも無い。

少々手傷こそ負ったが、先手を打っての銃撃から始まった戦闘で、数分とかからずゴブリンたちは倒れ伏した。

 「おおきに。危うく逃げられるとこやった」

ゴブリンが落とした布袋を回収して中を確認すると、ペンネは踏み荒らされた薬草園を眺めて嘆息した。

「おおかたお二人とも、グラタンに頼まれてわいを呼びに来たんやろ。

行っても構わんが、その前に逃げた泥棒を捕まえてきてくれんか?」

どうやら、もうひと組の薬草泥棒は先ほど通過した【水路のある花畑】のほうへ逃げ伸びたらしい。

大した手間でも無し、泥棒退治くらいは引き受けて罰も当たるまい。

 

結論だけ述べれば、追跡も回収もさして難しいものではなかった。

薬草泥棒のゴブリンのうち一匹が「剣の欠片」を内包していたので少々しぶといだけで、

薬草そのものは難なく取り戻してペンネに引き渡すことが出来た。

気になったことと言えば、薬草と一緒に回収した瀟洒な帽子だが……これについては、後述する。

「おおきに。これはお礼やで」

傷を治療するための薬草を少し貰い、【薬草園】を少し片づけてから【おもてなし亭】に向かうという

ペンネを置いて南のエリアへ戻ることにした。……そう、戻ることにしたのだが……

 

「マスター、ここ何処?」

「【雲海の岬】……らしいんだが……?」

【薬草園】のある南東のエリアから西へ向かうことしばし。

【赤い河】のあたりに出るものと思って進んだ先は……

周囲に見渡す限りの雲海が広がる、目も眩むような高さの絶壁だった。

平地を進んで居たはずが、突如どう見ても山の頂上のような場所に出てしまった。

妖精郷の地理、誠に恐るべしである。

さしあたり何処へ向かえばいいかと地図を開くと……突如、一陣の風が吹き抜ける。

「……って、ちょっと待て!?」

「残念、待てないようです」

風が吹き抜けると同時に、私たちの体が紙きれのようにその風に流される。

絶壁を滑り雲海の上を風に流されて吹き飛ばされる。

良く見ると、私たちの周囲には無数の小妖精が、裾なり靴なりを掴んで飛び回っていた。

どうやら、妖精のいたずらに巻き込まれたようだが……

 

 数分か数時間か。風に遊ばれた後でどさ、と落ちた先。

一瞬、高空から放り出されてトマトのように潰れる自分を幻視しないでもなかったが、

幸いにも穏当に着陸させてもらえたようだ。リヴィエラもぽてん、と転がされて傷は無し。

「……不可思議な飛行でした。良く解らないけど、なかなか快適」

「……リヴィエラ。君は結構、神経が図太いんだね」

ルーンフォークには妖精が見えない。

先ほどの飛行体験も、彼女にとっては「不思議」の一文で片づけられてしまう現象らしい。

……こちらは膝が笑っているのだけれど。

ようやく周囲を眺める余裕が出来たので、地図で現在位置を確認する。

なんと、先ほど居た南エリアから、いきなり宿の西側のエリアに飛ばされたらしい。

見上げるほどに大きな【光の樹】……スプライトの領域のようだ。

歩き出そうとした私たちの頭上に、ふと影が差す。

とっさに身を屈めたその一瞬前の私の頭の所在を、舞い降りた鉤爪が掴み損ねて通り過ぎる。

澄み渡るような甲高い声。色彩鮮やかな鳥の翼を持つ幻獣……ハルピュイア。

どうやら空腹のようで、私を手頃なおやつにするつもりだったようだ。

……骨ばってて美味しくないと思うのだが。

 

ハルピュイアは飛行する妖精魔法の使い手である。

飛べない上に魔法に決して強く無い私達はかなりの苦戦を強いられた。

《ファイアボルト》と《ウィンドカッター》に抵抗しながらリヴィエラの銃で生命力を削り取り、ようやく撃墜。

この一戦で、私は攻撃魔法の必要性を強く感じた。

 

ハルピュイアを撃墜し、傷を薬草で癒してしばし。開けた空間を見つけた私たちは、息を潜めて茂みに隠れる。

リヴィエラは不思議そうな顔をしていたが、私の目にはスプライト……光の妖精が30体以上も集まって

何かの歌を合唱して居る光景が見えて居た。

「光なるマクリール・ルー」という歌詞を繰り返し歌い上げて居たことから、恐らくこの歌は妖精郷に伝わる

民謡のようなものなのだろうか。後の検証を要するだろう。

 

【光の樹】から東へ向かうこと数時間。途中で休憩を入れながらではあるが、流石に疲労が激しい。

道中、空に浮かぶ不思議な家……【大空の小さな家】というそのままな名前が付いた場所で

謎の歌声を聴きつつ通り過ぎ、聳え立つ頂上から火柱を噴きあげる【火柱の塔】なる建造物の傍を通り、

ようやく【おもてなし亭】へ辿り着く。とっくに戻っていたペンネには何処を彷徨っていたのかと呆れられたが、

こちらも好き好んで大冒険をしたわけではないと強く明記しておきたい。

ともかくも、今は経過を手帳に記録だけして、泥のように眠りたい……

 

 

第二章                         ドリアを探せ

 

これ以上ないほど深い眠りについて数時間。

夕刻を少し回ったあたりだろうか。目を覚ますと、リヴィエラがこちらを覗きこんでいた。

「……おはよう、リヴィエラ」

「おはようマスター。夕食の時間」

要件を端的に述べると、そのまますたすたとリビングの方へ向かってしまう。

ふと気付いたことが有って呼びとめる。

「リヴィエラ、その眼鏡は?」

「けっとしー?に貰いました。妖精を視認したり会話したりするための眼鏡」

「ルーンフォークでも妖精が認識できるマジックアイテムか……あとで見せて貰っても良いかな」

「……ちゃんと、返してくれれば」

回答に一瞬躊躇が見えたあたり、割とお気に入りらしい。

先日もペンネやスプライトが見えずに私の後ろで首を傾げていた彼女としては、

正に世界が広がった気分なのだろうか。何処となく、足取りも軽いようだ。

 

グラタンが用意してくれた夕食を、ペンネも加えた四人で囲んだ後。

ふと思い立ってグラタンに妖精魔法の手ほどきを受けてみた。

彼ら妖精は基本的に自分の属性の魔法を使用することができる(反面、他の属性は使用できないらしい)ため、

手近なところで《フェアリーウィッシュ》でも教われれば、と思ったのだが。

「ラザフォードさん、もう初歩の魔法なら使えるはずですにゃ」

「……私は宝石を買った覚えは無いんだが…… 妖精魔法は契約無しでも使えるものなのか?」

「ここは妖精の楽園ですにゃ。細かい儀式作法が無くても、素養のある人が頼めば皆力を貸してくれるんですにゃ」

本来妖精魔法は、妖精を召還するゲートである宝石を介して妖精と術者が契約を結び、

それによって妖精に魔力を行使させるものなのだが。

真語・操霊魔法の発動体同様不可欠のはずの宝石についても、どうもここでは不要のもの、らしい。

実際、試しに妖精語で呼びかけてみると、《ウィンドボイス》や《ヒールウォーター》も使うことができた。

……つくづく、ラクシア全般での常識は、ここでは通用しない。

 

夜半になって、ランタンを片手に【風車の谷】へ向かう。

夜が明けてからでも構わなかったのだが、このドリアというケットシーの所在(予定地)が

思いのほか宿の近くだったこと、【風車の谷】自体が一つの村落であり、必要ならそこで休息を取れるらしきことから

夜の強行軍となった。

「眠いですマスター」

「さっき仮眠は取っただろう?」

「朝寝をしても仮眠を取っても午睡を享受しても、夜はやはり寝るものと記憶してます」

「それは寝っぱなしじゃないか」

……若干一名、道中あくびの絶えない子も居たが。今回は迷わずに【風車の谷】に辿り着くことが出来た。

【風車の谷】はその名の示す通り、深い断崖の谷間に存在する。

谷底の河に沿って段々に田畑や民家が広がり、吹き抜ける風を無数の風車が受けて水を汲み上げ、

あるいは粉を挽く動力として利用している。緑豊かな辺境の村落、といった光景だ。

到着したのは完全に深夜だったが、たまたま出歩いていたのであろう村人の親切を受けて、

ビッツというご老人の家で一夜の宿を借りることが出来た。

話を聞くに、この村の住人はそのほとんどが外から迷い込んだ、或いは冒険者として妖精郷に来て

そのまま住みついた人々やその子孫であるらしい。

ビッツ老とその妻セシリア刀自も、50年ほど前に冒険者として迷い込んだとか。

昨今の大陸の事情などを交えて話をするうち、興味深い情報を聞くことが出来た。

「そう言えば、大昔に【火柱の塔】に住んでいたダレスと言う魔動機師が、妖精郷消失の謎について

調べて居たような……」

思わぬところで重要な情報に巡り合えたのかもしれない。

またここを訪れた本題でも有るドリアと言うケットシーについて伺うと、確かにこの村に住んでいたとのこと。

但し現在は件の【火柱の塔】の方へ出かけてしまっているらしい。

「高飛車な態度と者言いで初対面の人は誤解するかもしれませんが、優しいケットシーなんですよ。

迷い込んだ人を集めてここに村落を作らせたのもドリアさんで」

「ほう?」

「ドリアさんは魔法に詳しいので、何か困ったことが有ると度々相談に乗ってもらってますし、本当に感謝しています」

「つまりドリア、ツンデレケットシー?」

「……君は何処でそんな言葉を覚えたんだ、リヴィエラ……」

 

翌朝。

夫妻に礼を述べて出立しようとすると、村人の一人に声をかけられた。

どうやら近隣に魔物が出没しているので、私たちを冒険者と見込んで退治を依頼したいとのこと。

一宿一飯の恩義も有り、さほど危険ではない魔物と聞いて引き受けると……

これまた、出没地点は【火柱の塔】の周辺らしい。

どうせ訪ねる場所、報酬も出してもらえるとあれば、躊躇する必要も無し。

私たちは【火柱の塔】を目的地として、谷を出発した。

「……魔物退治?」

「ああ、情報を総合するに、インプだろう。下級の魔神だが、魔法も使うので油断は禁物だね」

「淫婦……気を付けて、マスター」

「……アクセントがおかしかった気がするんだが?」

 

【火柱の塔】は昨日、一度前を通りすがったことも有り、すぐに着くものと思って疑わなかった。

だが、私は【風車の谷】で十分な休養を取ったために、ここが常識の通じない妖精郷であることを

うっかり忘れていたとしか思えない。

確かに、塔にはすぐに着いた。だが道中、妖精郷ならではのアクシデントが私を襲った。

「……やれやれ、無事に到着したピヨ」

「…………」

……リヴィエラの視線が痛い。ついでに自分で発声してて胃と羞恥心が痛い。

谷からここへ至るまでの道中で、近寄って来た小妖精に光の粉を掛けられたのが原因と言えば原因である。

自分の意志によらず、言葉に妙な語尾が付いてしまう。

「ともかく、まずはインプを探すピヨ」

「……ぴよ」(頷き)

「……黙って探すピヨ」

「……ぴよぴよ」(こくこく)

実害は無いが、何ともしまらない。リヴィエラに遊ばれているし。

「ケケケケケ!」「ケ、ケケケケ!」

無力感に肩を落としている私の背後から、耳障りな声が響いた。

振り向いた目線の先に居たのは、暗褐色の肌と翼、鋭い尾を持った小人のような魔物。言うまでも無い、インプだ。

「ケーケケケケ!!」「ケケッ」

生憎と連中の言語は私の知るところではない(後に知ることになるが、魔神語らしい)が、

とりあえずこの場では関係ない。指を指して大口を開けて腹を抱えているとなれば、

それは疑う余地なく知的種族共通のリアクションと思ってよいだろう。

「……何がおかしいピヨ」

「マスターの語尾がおかしいぴよ」

「ケケケケケーケケ!」「ケッケケケケケー!」

……怒っていいよな? 当たり前だ。温厚で理性的を心がける私にも、堪忍袋の緒が切れることくらいはある。

自問、即自答。そのまま妖精語で炎の妖精に命じる。

『焼き滅ぼすピヨ サラマンダーの炎の舌』

「グケケーッ!?」

……初めて行使する妖精魔法は、猛烈な炎の礫となってインプの一匹を撃つ。

炎は瞬く間に全身へ燃え広がり、小柄な体を焼き縮めた炭に変える。……ちょっとは溜飲が下がった。

「マスター、ナイス八つ当たり」

「……茶化してないで、さっさとやっつけるピヨ」

「らじゃー」

程なくして、リヴィエラの猛射と私の《ファイアボルト》を浴びて、もう一匹のインプも地に伏した。

インプも自分の傷を神聖魔法で治療して抵抗したが、そこは数の差がものを言った。

ほぼ、完勝と言っていい内容だった。

「全く、腹の立つ相手だったピヨ」

……ああ、もう。早く直らないものか、この語尾。

 

インプを討伐し、塔の周囲を探すこと数分。

「……見つけた」

リヴィエラの指さす先。赤い毛並みで金色の帽子をかぶったケットシーが走り去って行こうとするところだった。

「おーい、ドリアさんピヨ?」

「ゲゲゲッ!?」

声を掛けられてぎくり、と足を止めたケットシーはこちらを視認すると、明らかに「しまった」という表情で

(今更ながら、ケットシーとは猫の姿なのに、妙に感情表現豊かな生き物である)声を上げた。

何か声を掛けられてはまずい事情でも有ったのかと思い、どう話をしたものかと一瞬躊躇した、その隙に。

「見つかってしまったからには、しょうが有りませんわ。かくなる上は……!!」

「……ぴよ?」

ドリアさん(仮)は立ち止まって振り向きざまに、何処から取り出したのか黒い靄のようなものが詰まった瓶を

投げつけてきた。思いがけない行動に思わず飛び退いた私たちの前に、瓶から巻き上がった靄が

人型の大小二体の魔物となって立ち塞がる。

「ガストと、ガストルークピヨ!? 何をするんですピヨ、ドリアさん!?」

「ええぃ、大の男がピヨピヨとやかましい上に不気味ですわ!? 黙ってその子たちにやられておしまいっ!」

「好き好んでピヨピヨ言ってるわけではないピヨ!?」

「マスター、襲ってくる襲ってくる」

そうだった。腕をもたげた黒い人型たちが詰め寄ってくることに気づいて、反論中止。

まずは目の前の障害を排除してから話を付けよう。

 

ガストは廃墟など薄暗い場所に時折出現したり、或いは蛮族によって使役されていることが発見される

魔法生物の一種である。

その姿は影絵じみた、小柄でいびつな人型だが、中には人族の成人サイズまで成長(?)したやや強力な個体も

存在し、それらはガストルークと呼ばれる。さらに上位の個体も存在するらしいが、遭遇したことは無い。

見た目こそ影の塊のようだが実は確固たる実体を持つ上に物理的打撃に弱く、さして強い魔物ではない。

うっかりと足を滑らせて痛打を浴びたりもしたが、いつも通り鎖に絡めて動きを封じ、リヴィエラの狙撃で弱らせ叩く。

ほどなくして、ガストたちは魔力を帯びた石(彼らにとっての核、心臓部に当たるものと思われる)を残して

かき消えていった。

 

「オーッホホホホホホホ、やるではないですか!」

ガストたちを撃ち倒した私たちの背後から、またやたらと高飛車な賞賛が聞こえた。

「……ドリアさん、何故いきなりこんなことをするんですピヨ?」

「あら、あなたたちグラタンに頼まれて私を呼びに来たのでしょう?」

無言で肯定すると、赤毛のケットシーはこれ以上ないほど上から目線で胸を逸らしつつ。

「せぇーっかく優雅な休暇を楽しんでいた私の力を貸して差し上げるのですから、その腕前くらいは試して

当然ではありませんこと? オーッホッホッホッ……」

「うるさい」

ずだーん、と銃声が響き、高笑いを上げていたドリアの髭の先をかすめて、何かが飛んでゆく。

音の出所を探すと、いつの間にやらドリアの側面に陣取ったリヴィエラが、高笑いのポーズのまま凍りついた

ケットシーのこめかみにひたり、とトラドール型銃の筒先をポイントしていた。

アレは怖い。

しかもリヴィエラの目が全然笑ってないから、ますます怖い。

「な、なぁにをいきなりしてくれますの!? このつるんぺたんルーンフォ」

ごり、と銃身が押しつけられる鈍い音が聞こえたような。

毛皮の下の顔色を伺えれば恐らく真っ青であろうドリアに銃を押しつけたまま近寄ると、

我が相方は二言三言、その硬直した耳に何かを呟いたようだが。

「―――っ!?」

効果は劇的だった。ドリアは見事な「気を付け」をすると、脱兎の勢いで【おもてなし亭】の方角へ走り去る。

途中一度だけ振り向いて。

「こ、これで勝ったとは思わないことですよ!?」

と叫んでいたが、リヴィエラが視線を向けると瞬く間に見えなくなる。

「……一体、何を言ったピヨ?」

「乙女の秘密ですぴよ」

……はぐらかされてしまった。

 

ともかくも、依頼された通りドリアは【おもてなし亭】へと戻ったようだ。

私たちも帰るべく、彼女の跡を追ったのだが……

「……ここは、何処だピヨ?」

「池」

「……簡潔かつ異論を挟み様の無い回答をどうもピヨ」

「じゃあ、「マスターが好奇心に負けたせいで迷い込んだ何処かの池」?」

「……悪かったピヨ」

宿へと向かう道中、見つけた見慣れぬ小道に足を踏み入れたのが運の尽き。

その時点では既に宿の間近に居たはずが、目の前に広がるのは凪いで静まり返った湿地帯。

慌てて地図で確認すると、ここは【おもてなし亭】からかなり北に位置する【鏡の池】。

沈みゆく夕日に朱と藍色に染まる小景は確かに息をのむほど美しかったが、

のんびりと鑑賞しているわけにもいくまい。夜になればどんな危険が待ち受けているか、分かったものではない。

「とりあえず、宿へ向かいつつ周辺を調査するピヨ」

「……この状況でも好奇心に負けるマスター、凄い」

 

夕刻を過ぎてしばし、藍色に染まった空の下、松明を灯して湿地の周縁部を歩く。

あまり池に寄り過ぎると足元が不安なため、背の低い野草の茂った場所を選んで進むが……

その先に、豊かに茂った葦の草むらが立ち塞がった。

それなりに長身であるはずの私の背丈を越えるこの障害に、迂回を考えて周囲を見回していた、その時。

がさり、と葦の林が揺れた。風や小動物によるものではなく、何かそれなりの大きさの動物が草を薙いだ音。

即座に松明を足元に置き、両手に武器を構える。

リヴィエラは距離を取ってマギスフィアを起動、《フラッシュライト》の魔動機術で照明を確保。

銃を構えたリヴィエラが逆光の中で合図するのを待って、踏み込んでサーベルを片手に葦の壁を一気に開く。

「っ!?」

「……ぴよ(おや)?」

振り上げた剣を降ろすべき場所……葦の壁の向こうに居たのは、両腕が鳥の翼となっている女性。

大きな裂傷を負っているのか、夜目にも赤く染まった右翼を庇って、脅えた表情を見せている。

容姿から以前【光の樹】で遭遇したハルピュイアを思い出したが、何かが違う。

「……ディーラ、ピヨ?」

知識の中に、思い至るものがいた。

姿の似たハルピュイア同様に厳重に分類されるが、温厚かつ理知的で、基本的に人族と争うことの無い種族である。

『こんなところで、一体なにをしているピヨ?』

彼女らの共通語はエルフ語と魔法文明語であり、幸いにも私はエルフ語ならば会話に用いることができる。

……言語を変えても語尾に「ピヨ」が付くのは辟易したが、武器を納めてこちらに害意が無いことを示すと、

ディーラも脅えること無く会話に応じてくれた。

どうやら彼女は野生の獣に襲われ、翼に傷を受けて立ち往生していたらしい。

手持ちの薬草とリヴィエラの《ヒールバレット》で治療(どうみても銃撃するとしか見えないリヴィエラの治療方法に

関して、ディーラとひと悶着あったのはご想像の通りである)を施すと、ディーラは丁寧に礼を述べた後、

自分の住まう【鳥籠の樹】の場所を伝えてくれた。

『本当にありがとうございました、旅の人。近くを通ったら、どうぞ立ち寄ってください』

『礼には及ばないピヨ。困った時はお互い様ピヨ』

……相変わらずのピヨ語尾交じりのエルフ語に苦笑しつつも、ディーラは飛び去り。

それを見送って先へ進もうと旅の相方の方を見ると、置いてあった松明を拾い上げた彼女は妙にじっとりした目で

私を見て曰く。

「……マスター、破廉恥」

「いきなり何を言い出すピヨ!?」

心なしか憮然とした表情で、リヴィエラが続ける。

「鳥美人に鼻の下伸ばしてた」

「……そんなことはない、ぴよ?」

……私はそこまで節操無しではない、と思うが。

こればっかりは、自分の顔を眺めていたわけではないので断言できなかった。

と言うよりも、すたすたと明りを持って先に行ってしまうリヴィエラを追い掛けるのに必死で、

それ以上抗弁する機会も与えて貰えなかっただけではあるが。

 

ディーラとの遭遇でひと悶着あった後。

湿地帯の半ばほどを過ぎたあたりに、見事な三日月型を描く小さな池を発見した。

他の湖沼はいずれも透明度の高い清澄な水地であったが、それらの中でもこの池だけは不思議と、

風が吹いても鏡面のように凪いだまま、夜空を映してさざ波一つ立たない。

有る種荘厳な雰囲気すら漂わせるこの池こそが、この場所の地名の由来である「鏡の池」だろうか。

「マスター、突然ですがお手紙です」

「……誰からピヨ?」

「……故人?」

疑問に疑問形で返された。しかも怖過ぎる予想付き。

リヴィエラが差しだしたのは、一本の瓶。

中には魔動機文明語で書かれた、恐らくはこの池を訪れたであろう先人からのメモが残されていた。

「……なるほど、確かに故人の手紙かもしれないピヨ」

「世を儚んで身投げした妖精の遺書、と」

「そのネタはもう良いピヨ。とりあえず、魔動機文明語は読めないので読み上げて欲しいピヨ」

「マスターは仮にも賢者(セージ)でしょう、などとは思っても言わない出来た従者」

「思いっきり言ってるピヨ!?読めない言語の方が多いなんちゃって賢者で悪かったピヨ!?」

 ああもう、従者に遊ばれっぱなしの主人ってのはなんなのか。

 

リヴィエラが読み上げたメモの中身は、おおよそ以下の通り。

この池は特殊な力を秘めており、誰かの持ち物を沈めることでその持ち主の今の状況を映し出すことができる。

ただし映し出せるのは持ち主の手を離れてから2カ月程度の品物を用いた場合だけ、らしい。

私の手元には、「エマ」と名前が刺しゅうされた帽子が一つ。以前、ペンネの依頼で蛮族から薬草を取り戻した際、

一緒に回収したものだ。薬草ともどもペンネに渡そうとすると、ケットシーは帽子を丁重に押し返し、

「鏡の池に沈めれば、持ち主が探せるかもしれない」と告げていた。

……なるほど、ここがその池ということか。私は道具袋に仕舞っておいた帽子を取り出し、静かに池に浮かべる。

普通ならば浮いたまま水面を彷徨うであろう帽子は、何かに導かれるように池の中央まで緩やかに流れると、

そのままとぷん、と沈んでしまった。

「……ごみはゴミ箱に?」

「静かにピヨ。ちょっと明り強くしてピヨ」

《フラッシュライト》の光の中、水面に浮かび上がってきた映像を凝視する。

橙色の髪の少女が、白百合の咲き誇る小川のほとりで座り込んでいる。

表情は恍惚としているが、眼は虚ろで、何処も見ていない。

周囲の情景をもう少し確認しようと身を乗り出したが、映像は徐々に乱れて消え去ってしまう。

およそ30秒程度だったか、水面はまた鏡のような表面を取り戻していた。

「……なるほどピヨ」

「……何か判明しましたか、マスター?」

「少なくとも、あの帽子の持ち主が10代くらいの女性で、ここ最近妖精郷に迷い込み、

現在何らかの理由で自律的に動けないということくらいピヨ」

あるいは、妖精郷の何処かで巡り合うことも有るかもしれない。

その時には、外に返してやることが出来ればいいのだが。

 

池を離れて歩くことしばし。

未明になって、ようやく【おもてなし亭】に辿り着く。

「やれやれ、長い旅だったピヨ」

「マスターは好奇心を抑制する必要が有ると思います」

「……私から好奇心を取ったら、何が残るピヨ」

「…………そう言えば、そうですね。すみません」

「そこで謝らないで欲しいピヨ!?」

「明け方に宿の前で大騒ぎするんじゃありませんことよ!?このピヨピヨ男と性悪ルーンフォークは!?」

横合いやや下方向から聞えた声に二人して目線を向けると、そこには(見えないけど多分)青筋を浮かべた、

赤毛のケットシーの姿が。

「人がわざわざ工房復活の準備をして待って居れば、ほんの数時間の距離を一体どれだけ彷徨ってるのかしら、

このアホ主従は!」

「わざわざ今まで待ってるドリアは、やっぱりツンデレケットシー……」

「だ・れ・が ツンデレですの!?」

 

……およそ十分後。

ようやく落ち着いた(と言うより、叫び疲れた)ドリアが投げやりに鍵を湖面へ投じると、宿に並んで煙突を生やした

頑丈そうなレンガ造りの建物が出現する。

至る所に色ガラスが埋め込まれたそれは、ドリア曰く「妖精郷一の魔法工房」だそうだ。

「不本意ですが! あなた方が伏して乞い願うなら、私の工房でマジックアイテムを用意して差し上げますわ!」

「あー……必要になったらお願いするピヨ」

頭の位置は下なのに上から目線で胸を張るドリアにおざなりに一礼すると、色々と疲れた体を引きずって

おもてなし亭のドアを開ける。

……この記録を記している時点でかなり記憶が怪しいが。

ここまでの旅路が細大漏らさず記録されていることを願いつつ、一度筆を置くことにする。

 

 

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